甲子園で応援団長→大正大の快挙に貢献。大場駿太が才能開花で描く夢

  • 高木遊●文 text by Takagi Yu
  • photo by Takagi Yu

 長く閉ざされた重い扉がついに開いた----。11月13日まで神宮球場で行なわれていた東都大学野球秋季リーグの2部・3部入れ替え戦で、3部優勝の大正大が2部最下位の東京農業大を破り、2007年春以来となる2部復帰を決めた。

 じつは、12年前に大正大が3部に降格して以降、今年の春まで24回の入れ替え戦はすべて2部の大学が残留を決めるなど、2部と3部の間には埋めきれない実力差があった。2部とはいえ、1部との入れ替え戦は熾烈をきわめ、甲子園球児ら全国の腕自慢が集まる。かつては黒田博樹(専修大→広島など)や阿部慎之助(中央大→巨人)らもプレーしたほどだ。

 それだけ3部から2部に昇格するというのは困難なことである。そんな下剋上の立役者となったのが、遅咲きの4年生右腕・大場駿太だった。

大正大の2部昇格の立役者となった大場駿太大正大の2部昇格の立役者となった大場駿太「あんなに手ごわかった順大が完膚なきまでに......甲子園を目指すのとはまた違う難しさ、大変さを感じました」

"2部昇格"を目標に意気込んでいた当時1年生の大場は、春の2部・3部の入れ替え戦を見て、先輩たちが苦しめられて勝てなかった順天堂大が、椎野新(現ソフトバンク)らを擁する国士館大に1対7、2対13と大敗する姿に衝撃を受けた。

 霞ヶ浦高校時代の大場は、不完全燃焼だった。茨城・高崎中で県8強入りし、オール茨城にも選出されるなど、県内ではそこそこ名の知れた存在だった。中学の1年先輩だった上野拓真(現・北海道ガス)から「おまえと野球がやりたい」と声をかけてもらったこともあり、霞ヶ浦への進学を決めた。

 当時、霞ヶ浦は何度も「甲子園まであと1勝」の壁に阻まれ、それを越えようと大場も奮闘した。そして3年の夏、ついに霞ヶ浦は悲願の甲子園出場を果たした。だが、大場の姿はマウンドにもベンチにもなかった。

「とにかくメンタルが弱くて、いつも自信なさげに野球をやっていました。(監督の)高橋(祐二)先生には期待してもらっていたのに......今でも悔しいです」

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