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弟がドラ6でヤクルト入団。
八戸学院大・武岡大聖が抱えた嫉妬と決意 (2ページ目)

  • 永田遼太郎●文 text by Nagata Ryotaro
  • photo by Nagata Ryotaro

 鴨島第一中学に進むと、軟式野球部から熱烈な誘いを受けた。しかし、将来のプロ入りを意識しはじめていた大聖は、少しでも早く硬式球に馴染んでおきたいと、地元の硬式野球チーム「徳島ホークス」への入部を決めた。

 すると、徳島ホークスが所属するヤングリーグの日本代表に選出され、世界大会でも活躍。その才能は広く知られるようになった。

 この徳島ホークスで教わった技術は、小学3年から野球を始めた弟の龍世と共有した。高校時代は兵庫県のパワーヒッターとして鳴らした父・克明さんも加わり、3人で練習する光景は武岡家の日常となった。

 その後、大聖は生光学園(徳島)に進学。同校の臨時コーチとして顔を出していた元巨人の平田薫氏から指導を受け、技術はさらに向上していった。

「うしろ足を前足の方に近づけてインコースを打ちに行ったら、その反動で強く振れる。平田さんはインコースの打ち方がうまくて、自分は真似しきれないんですけど、ヒジの畳み方とか、いろんなことを教わりました」

 高校通算28本塁打を放つなど、県内でも注目のスラッガーとなった。

 大聖が高校で実績を残す一方で、龍世もものすごいスピードで成長を続けていった。

 兄と同じ徳島ホークスでは、小学6年の時に全国大会で優勝。中学1年でヤングリーグの日本代表に選ばれ、世界大会で活躍。また、100m走で徳島県2位になるなど、兄同様にポテンシャルの高さを発揮した。

 龍世が青森にある八戸学院光星に進学を決めると、大聖も兄弟校の八戸学院大に進学。その後、龍世は八戸学院光星の仲井宗基監督に才能を見出され、1年春からショートのレギュラーに抜擢され、高校2年の夏から3季続けて甲子園に出場するなど、その名は全国に知られるようになった。

 龍世が順調に成長を続けていく一方で、大聖は自信を失いかけていた。大学2年のある日、大聖はある決心を持って、徳島の実家に電話をかけた。

「自分はもう野球はいいかな......。弟にはかなわないから」

 すると、父は激怒した。

「おまえ、しょうもないことを言うな。お母さんにいろいろ面倒をかけたことも忘れたのか!」

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