なぜ「史上最弱」沖縄尚学はセンバツ準Vの習志野を追い詰められたのか (2ページ目)
どのチームも宮城の低めの変化球を振りたくて振っているわけではない。頭でわかっていても、なかなか監督の指示どおりに事は運ばないものだ。しかし、沖縄尚学の選手たちは、比嘉監督の指示を愚直なまでに実行した。指揮官も思わず「アドレナリンが出ていて、集中力がものすごかった」と息をのむほどだった。
戦力に劣る沖縄尚学が甲子園に出られた理由は何か。聞いてみた比嘉監督も選手も口をそろえた。
「粘りしかありません」
人間、誰しも調子がいいときは何をやってもうまくいく。しかし、調子が悪いからといって力を発揮できなければ、甲子園など夢のまた夢。比嘉監督は選手たちに日常生活から厳しく指導してきた。「いかなる状況でも、粘り強く力を発揮できるようになってほしい」という思いからだった。選手たちはその真意をはかりかねた時期もあったが、選手間でミーティングを開いて監督の思いを共有し、結束を深めていった。
比嘉監督は「弱いチームでも、粘りがあれば甲子園に行けるんです。夢があるでしょう?」と冗談めかして笑った。
その3日後。沖縄尚学は習志野と文字どおり、粘り強い激戦を繰り広げた。
4回表までに2点を失った沖縄尚学は、4回裏に反撃を開始する。一死から3番・水谷、4番・與谷友希の連打で一、三塁のチャンスをつくると、5番・崔哲瑋(さい・てつい)が左中間奥深くまで到達する2点タイムリー三塁打を放つ。
崔は台湾からの留学生。じつは6日の練習時点では右肩に痛みを抱えており、比嘉監督も「出られないでしょう」と悲観的な見通しを語っていた。ところが、トレーナーの治療などによって急激な回復を見せ、習志野戦ではスタメン出場。3安打を放ってラッキーボーイになった。
崔のタイムリー三塁打に続き、6番の奥原海斗がセーフティースクイズを敢行。三塁手前に見事に転がし、沖縄尚学は逆転に成功した。
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