5季連続甲子園出場の3人が中心。智弁和歌山が挑む「負けられない夏」 (4ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

 西川は2番を打っていた時、走者との兼ね合いのなかで高度なバッティングを求められた。ミート力の高さと器用さゆえの要求だったが、3番となった今、西川は「2番の時の経験が生きています」と言った。状況に応じ、走者を還すバッティング、ランナーを進めるバッティング、長打を狙うバッティング......を使い分け、打線に厚みを持たせた。

 そして正捕手の東妻は、センバツの準々決勝(明石商戦)で悔しいサヨナラ負けを経験し、春の大会では途中交代を命じられるなど、苦しい時間が続いた。現役時代に捕手だった中谷監督から「もう一段上まで上がってこい」と厳しい指導を受けるがそれに耐え、和歌山大会では見事なリードで投手陣を引っ張り、5試合でわずか1失点と成長の跡を見せた。

「夏の直前までずっとつらかったです。中谷監督からリードの中身についてアドバイスをもらって、自分なりに考えてやるんですけど、うまくいかないことの繰り返しで......。でも最後は『やるしかない』と開き直って、やってきたことをすべて出すしかないとシンプルにいったのがよかったと思います」

 三者三様、求められることに対応し、チームを勝利に導いた姿を見ると、やはり経験を積んできた彼らの強さを感じずにはいられなかった。

 当然だが、経験を積んできたのは5季連続甲子園出場を果たした3人だけではない。今回ひと桁の背番号を背負う9人はいずれも甲子園は2回以上経験しており、エースの池田陽佑、外野手の根来塁、2ケタ背番号ながらスタメン出場もある野手の久保亮弥は4度目の甲子園である。ちなみにベンチ入りの18人中、初めての甲子園となるのは、1年生の徳丸天晴、中西聖輝と、2年生左腕の矢田真那斗だけ。

 智弁和歌山の3度の日本一を振り返ると、1994年のセンバツ日本一の時は、前年夏の甲子園で2勝を挙げたメンバーが7人残っていた。1997年夏の優勝も、レギュラー9人中6人が前年に春夏連続出場を果たした時のメンバーで、2000年夏も下級生の時からチームの中心にいた堤野健太郎、池辺啓二らの活躍によって成し遂げられたものだった。

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