2018.08.02

東大法学部外野手にスカウトも注目。
志すは赤門初のプロ野手か司法の道

  • 松本英資●文 text by Matsumoto Hidesuke
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 野球との出会いは、小学2年生のとき。辻居は4人兄弟の末っ子で、10歳上に長男、8歳上に次男、5歳上に三男がいる。その長男が神奈川県内屈指の進学校である栄光学園高校の軟式野球部に在籍。高校3年のときに関東大会に進出し、優勝投手に輝いたのである。その雄姿を観客席から目の当たりにして以来、野球に強い関心を抱くようになった。

 父親の勧めもあって、地元の少年野球チーム『緑園(りょくえん)ラービー』に入団。そこで才能を開花させる。小学6年生の春、相鉄沿線大会に「4番・エース」としてチームを優勝に導き、大会MVPにも選ばれた。

「緑園ラービーは地元の強豪チームで、僕らの代は好選手が揃い、今でも大学でプレーする仲間がいます。大会で優勝したものの、そこまで野球にのめり込むこともありませんでした。それよりも、父親と一番上の兄が通った栄光学園に憧れていました。中学受験(栄光学園中学)の勉強に専念するために、この大会後にチームを辞めました」

 1年間、野球から離れて受験勉強に励み、見事、栄光学園に合格。辻居は迷うことなく軟式野球部に入部した。ちなみに、中高一貫の栄光学園は軟式野球部はあるが硬式野球部は存在しない。

「聞くところによると、学校創立当初は硬式野球部があったそうです。ある日、野球にあまり縁のないスペイン出身の校長に、硬球が直撃するアクシデントが起きたそうなんです。以来、その方が『野球は野蛮なスポーツ』と見なすようになって、硬式から軟式に代わったらしいです」

 入学後も辻居は学業を優先させながら、野球に励んだ。高校2年で頭角を現し、「4番・エース」の座をつかむ。

 軟式ボールは、力が加わる瞬間に変形したり、運動エネルギーがゴムに吸収されたりして、パワーロスを発生させる。そのため、硬球よりもスピードが出にくいと言われている。それでも辻居は、高校3年時には最速133キロを投げるまでに成長を遂げた。辻居が当時を懐かしむ。