2018.06.17

横浜×PL延長17回最後の打者が、
独立リーグ監督となって揺れる心

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • 市川光治(光スタジオ)●写真 photo by Ichikawa Mitsuharu(Hikaru Studio)

 20年の間、このシーンをいったい何度、テレビで見せられたことだろう。

 1998年、夏の甲子園。

 エース、松坂大輔を中心に最強メンバーを揃えた横浜高校と、総合力で松坂に襲いかかったPL学園が、準々決勝で相まみえた。そして延長17回という激闘の末、横浜は9-7でPL学園を振り切った。

 その最後の場面はこうだ。

 伏し目がちに振りかぶった松坂。

 この試合の250球目だとは思えないほどの力強いボールが、彼の右腕から放たれた。右のバッターボックスに立った背番号16のバッターが、一瞬、ピクッと反応しながらもアウトコースのスライダーを見送る。すかさず、審判の右手が上がった。

 見逃し三振、試合終了――勝利の瞬間、松坂はやっと終わったとでも言いたげにガックリとうなだれ、疲れ切った表情を浮かべていた。

 そのときの最後のバッター、PL学園の背番号16は、2年生のキャッチャーだった。

 それが、田中雅彦だ。

今シーズンから福井ミラクルエレファンツの監督に就任した田中雅彦 この試合、レギュラーの3年生キャッチャーがケガをしたため、途中から出場していた田中は、延長17回の最後のバッターとして松坂から見逃しの三振を喫したのである。

 現在、ルートインBCリーグの福井ミラクルエレファンツで監督を務める田中は、そのときのことをこう振り返った。

「最後の一球ですか? どんなふうに見えたかって、もう、どんなふうもクソもないですよ(苦笑)。まぶしくて、見えませんでしたから……だって、消えたんですよ、あのスライダー、消えたんです。あっと思ったら、もうボールが見えなかった。いつ曲がったんだっていう、ホントにすごいボールでした」

 田中は松坂世代ではない。松坂のひとつ下だ。それでも彼はこう続けた。

「松坂さんは僕らにとっても”象徴”なんです。一番上の、てっぺんにいる人。すごいというところからまったく動かない。投げられなかったときでも納得するまで野球をやめなかったし、人にどう思われようとも『野球が好きだから』って言い続けた。カッコいいなと思いますよね。僕にとっては伝説の人、”神的”な存在なんですよ」