横浜×PL延長17回最後の打者が、独立リーグ監督となって揺れる心

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • 市川光治(光スタジオ)●写真 photo by Ichikawa Mitsuharu(Hikaru Studio)

 20年の間、このシーンをいったい何度、テレビで見せられたことだろう。

 1998年、夏の甲子園。

 エース、松坂大輔を中心に最強メンバーを揃えた横浜高校と、総合力で松坂に襲いかかったPL学園が、準々決勝で相まみえた。そして延長17回という激闘の末、横浜は9-7でPL学園を振り切った。

 その最後の場面はこうだ。

 伏し目がちに振りかぶった松坂。

 この試合の250球目だとは思えないほどの力強いボールが、彼の右腕から放たれた。右のバッターボックスに立った背番号16のバッターが、一瞬、ピクッと反応しながらもアウトコースのスライダーを見送る。すかさず、審判の右手が上がった。

 見逃し三振、試合終了――勝利の瞬間、松坂はやっと終わったとでも言いたげにガックリとうなだれ、疲れ切った表情を浮かべていた。

 そのときの最後のバッター、PL学園の背番号16は、2年生のキャッチャーだった。

 それが、田中雅彦だ。

今シーズンから福井ミラクルエレファンツの監督に就任した田中雅彦今シーズンから福井ミラクルエレファンツの監督に就任した田中雅彦 この試合、レギュラーの3年生キャッチャーがケガをしたため、途中から出場していた田中は、延長17回の最後のバッターとして松坂から見逃しの三振を喫したのである。

 現在、ルートインBCリーグの福井ミラクルエレファンツで監督を務める田中は、そのときのことをこう振り返った。

「最後の一球ですか? どんなふうに見えたかって、もう、どんなふうもクソもないですよ(苦笑)。まぶしくて、見えませんでしたから......だって、消えたんですよ、あのスライダー、消えたんです。あっと思ったら、もうボールが見えなかった。いつ曲がったんだっていう、ホントにすごいボールでした」

 田中は松坂世代ではない。松坂のひとつ下だ。それでも彼はこう続けた。

「松坂さんは僕らにとっても"象徴"なんです。一番上の、てっぺんにいる人。すごいというところからまったく動かない。投げられなかったときでも納得するまで野球をやめなかったし、人にどう思われようとも『野球が好きだから』って言い続けた。カッコいいなと思いますよね。僕にとっては伝説の人、"神的"な存在なんですよ」

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