石井丈裕の登板に観客が「えー?」。早実・荒木大輔の控えはツラいよ... (6ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • 岡沢克郎●写真 photo by Okazawa Katsuro

 1992年はライオンズが勝って、翌年はスワローズが日本一になりました。大輔が復帰したばかりの1992年は複雑な思いがあったけど、次の年はそんなことを考えず、チームとして負けられないと思っていました。
 
 僕がタイトルを獲ったり日本一になったりしても、大輔に追いついたとは思いませんでした。ライバルというんじゃないんですよ。高校の時に彼との勝負は一回終わってるんで。ずっと仲間としか思っていません。

 ライバルという意味では、小沢の存在は大きかったでしょうね。小沢も1年の時から試合に出て、ふたりともスーパースター的な存在になっていた。大輔が小沢を認め、小沢も大輔を認めていました。お互いに言いたいことを言える関係だったんじゃないかなと思います。

 当時の和田明監督は、高校生の僕たちを大人扱いしてくれました。だから、選手たちは自分たちで考えて、動くことができたんでしょう。監督の考えを押しつけられることはありませんでしたし、ひとりひとりが自分の仕事をすることに徹していました。レギュラーも、そうじゃない人間も。厳しい練習をしなくても、甲子園に5回出られた理由はそれじゃないでしょうか。

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