野球以外の話はしない。センバツ初出場の公立校に現れた2人のエース (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yutaphoto by Kyodo News
  • photo by Kyodo News

 1年生のときから、川畑と富山のふたりはチームを支える存在になると期待されていた。だから、彼らは新チームとなった1年の夏から登板機会を与えられた。入学時の評価が高かったのは富山だったが、川畑があっという間に追い上げた。富山が当時をこう振り返る。

「1年の夏までAチームの練習に入れてもらって、遠征にも連れてってもらって、いい経験をさせてもらいましたけど、そこでもけっこう打たれてましたし、川畑より自分が上だという感覚はありませんでした。でも秋になって自分の調子が悪かったとき、僕がずっと先発だったのに急に川畑にパッと変わった日があったんです。その日はすごく悔しくて、そこから練習試合では僕と川畑が交互に先発するようになりました。

 最終的には僕が負けてしまって、川畑が1番、僕が10番になったんですけど、あの頃から日々、気が抜けない大変さを感じるようになりましたね。川畑はミスを引きずらず、自分の道を進めるところがあります。そういうところは僕にはない。でも、試合での一投一打に熱くなれるところでは負けてないと思うんですけど」

 実戦デビューは富山が先、エースナンバーを背負ったのは川畑が先。去年の夏は富山が1番を背負い、秋からは川畑が1番をつけている。それでも、気持ちを前面に出してバッターに向かっていける富山の長所を川畑は羨ましく思い、感情を常にコントロールしてピンチにも冷静でいられる川畑の長所を富山は羨ましく感じていた。

 そんなふたりが乙訓をセンバツへ導くことができたのは、ある"極意"を身につけたからだ。それは染田部長が伝えた、こんなピッチングだった。

 3球で2-1(ツーストライク、ワンボール)を作れ――。

 染田部長がその意図をこう説明する。

「智辯和歌山とか大阪桐蔭を相手にすれば、ボール球ばっかり放っても、強いチームの子らはそういう攻め方に慣れてますから、釣られてなんかくれません。いずれストライクゾーンに放らなアカンのなら、最初から取りにいけということです。万が一にもヒットを打たれることが許されん場面は別ですけど、そうじゃない場面がほとんどですから、ストライクゾーンでどんどん勝負すればいいというのは川畑にも富山にも言ってます」

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