高校野球で人生に誇りを。下関国際・坂原監督が伝えたいこと (4ページ目)

  • 井上幸太●文・写真 text&photo by Inoue Kota

 甲子園ではエースナンバーも背負い、主将としての責務をまっとうし、高校野球を終えた。本人の努力はもちろん、坂原が最後まで見捨てることなく、指導にあたったからこそできた大きな成功体験だった。

 「3年間、下関にいるのでお手伝いさせてください」

 監督に就任するきっかけとなった手紙に記したように、元々は将来的に地元・広島で指揮を執ることを思い描きながらの指導者生活のスタートだった。しかしながら、現在は下関国際を離れるつもりはまったくないという。

「選手たちの人生を預かっているので、自分から途中でチームを去るつもりはまったくないです。嬉しいことに、今では『下関国際で野球がしたい』と入ってきてくれる選手がほとんど。その思いを裏切ることはできません」

 そう力強く語る姿には、信念を持って指導に取り組み続けた下関国際野球部への愛着と誇りが感じられる。

 坂原監督を取材して、ひとつ驚いたことがあった。就任から現在までの各年代で起こったエピソードを歴代の選手名を交えて、数多く語ってくれたのだが、そのひとつひとつが実に淀みなく語られるのだ。年代を錯誤することや、ある選手の名前がとうとう思い出せない......といったことは一度もなかった。真剣に選手を思い、1年1年、心血を注いで指導に取り組んできた何よりの証(あかし)だろう。

 初戦敗退に終わった初めての甲子園初の中国王座を手にしたかに思えながら、優勝を逃した昨秋の中国大会。ひとつ階段を上ると、すぐさま新たな試練を与えられる。しかしながら、その度に力をけ、逆境を跳ね返してきた坂原と下関国際。きっと、この春も今まで辿り着けなかった領域に足を踏み入れるはずだ。

「初めての甲子園で経験した球場の特性や戦術面の反省を踏まえて、『こうやったら勝てるかな』という試合運びのイメージが少しずつ芽生えてはいます」と語った熱血漢。

 誰よりも時間をかけ、真摯に向き合い続けた選手たちとともに舞い戻る甲子園で、今度はどんな戦いを披露してくれるのか。球春の訪れはすぐそこに迫っている。

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