2018.03.14

高校野球で人生に誇りを。
下関国際・坂原監督が伝えたいこと

  • 井上幸太●文・写真 text&photo by Inoue Kota

 3月23日から春のセンバツ高校野球大会が開幕する。総勢36校のうち、「夏春連続出場」を決めたのが10校。二季連続となる全国舞台で”甲子園初勝利”を目指す指揮官のひとりが、下関国際(山口)を率いる坂原秀尚(さかはら・ひでなお)監督だ。

 昨夏、春夏通じて初出場を果たした下関国際。就任当初、荒れていた野球部を立て直し、甲子園に導いた一連のエピソードは山口大会優勝決定後から盛んに報じられていただけに、記憶に残っている読者も多いだろう。

昨年夏に続き、2季連続の甲子園出場を決めた下関国際・坂原監督 甲子園初陣は9-4で初戦敗戦。試合後半には持ち味である思い切りの良さを随所に見せたが、前半の失点が重くのしかかった。試合時間1時間39分。瞬く間に終わりを告げられた初めての甲子園だった。 

 初の全国舞台は苦い結果に終わったが、旧チームのレギュラー7人が残っていたこともあり、優勝候補大本命と目された昨秋の山口大会は見事優勝。同じく優勝候補の一角に挙げられて臨んだ中国大会でも危なげなく決勝まで勝ち上がり、2季連続の甲子園出場を勝ち取った。

 昨夏の甲子園初出場、そして今回のセンバツ初出場と、”ブレイク”を果たした印象もある下関国際。しかし、ここに辿り着くまでの道のりは平坦なものではなく、一段ずつ階段を上るような日々の積み重ねだった。

 坂原は、現役時代は投手として社会人野球までプレーを続けた。広島国際学院大在籍時には教員免許を取得していなかったため、引退後、免許取得のため東亜大に編入。下関市にある同大学に通ううちに下関国際の噂を耳にする。

「不祥事の影響で指導者がいない、校長先生がひとりで指導している、という話が聞こえてきました。2年時編入で東亜大に通学していて、3年間は下関にいるので『僕でよければお手伝いさせてください』と手紙を送ったんです」

 後任を探していた同校にとって坂原からの手紙は渡りに船となり、2005年の8月に監督就任。同年秋の大会が監督としての公式戦初采配となった。当時の様子をこう振り返る。