元ドラ1、元独立リーガー、元リストラ担当...甲子園を彩る異色の指導者 (3ページ目)

  • 清水岳志●文 text by Shimizu Takeshi
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 会社が負の遺産を処理して、再上場に向かっていたときに、母校から監督打診の話があった。足立は当初は、退職金制度などを手がけている最中だったため、それだけはやり遂げなければいけないと思っていた。

 しかし、2011年3月11日に起こった東日本大震災が転機となった。自分の意図しないことで志半ばにして亡くなられた方がいる。そのとき、足立は自身の生き方について考えた。そして同年8月、母校に戻った。

 ただ、前途は多難だった。2014年には部内で暴力事件が発覚し、対外試合禁止の処分を受けた。そのとき、選手たちは自ら「野球部の部員心得」を15条から20条にした。かつては、掃除やグラウンド整備は下級生の仕事だったが、今は3年生も全員参加している。

「上場廃止から再上場に向かうなか、新生プリンスホテルをつくろうというときに理念・理想を掲げました。これはいい、これはダメという次元の話ではなく、何のためにやるのかといったことが明記されている。それとよく言うのが、"泰山の高きは一石にあらず"という言葉です。小さな石が集まってはじめて大きな山になるという意味ですが、その大きな山もひとりから崩れてしまうぞ、と。要するに、"一人の百歩より、百人の一歩"。チーム力ということです。これはホテルの仕事から学びました。お客さんがホテルに来られて、ホテルマンの印象が悪かったら、ホテル全体の印象が変わってしまう。海外の人だったら、その国のイメージすら変わってしまうわけです」

 松商学園は2回戦で盛岡大付(岩手)に敗れたが、三振した選手にも「よし、よし」と笑顔を浮かべる足立監督の表情は、ホテルマン時代の名残なのだろうか。

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