引退する西郷泰之の25年「プロに行けなかったからこそ今がある」 (5ページ目)

  • 中里浩章●文 text by Nakasato Hiroaki
  • 甲斐啓二郎●写真 photo by Kai Keijiro

―― 引退を最初に報告したのはどなたでしたか。

「前監督の安藤さんです。電話をしたらいろいろと熱い思いなども言ってもらえて、自分としては新記録を達成できなくて申し訳ないなという気持ちでした」

―― それでも転籍した09年、すぐに都市対抗優勝を果たしました。

「それが救いでした。三菱川崎が活動休止になったとき、安藤さんが『ウチでやらないか』と声を掛けてくれて、会社に無理を言って獲ってくれた。そんな選手が活躍しなかったら安藤さんが何を言われるか分からないと思って必死だったので、優勝できたときはホッとしました」

―― そこからたくさんの人に報告したと思いますが、どんな反応が多かったですか。

「三菱川崎の監督だった垣野多鶴さんからは『お疲れさんだね』と言っていただきましたが、半分以上は『まだやれる』とか『辞めるな』という声でした。そう言われても、自分から辞めるわけではないんですけどね(苦笑)。他にもお世話になった川島勝司さん(アトランタ五輪日本代表監督)など、多くの方が温かい声を掛けてくださいました」

―― 引退して生活スタイルが変わったと思いますが、変化は感じますか。

「運動をしていないので体がおかしいですね(笑)。だから休日や会社帰りなどでは、あえて一駅ぶんの距離を歩いたりしています。実は今、体重も測れないんですよ。筋肉の量が減ってしまったので、これまで体重計に設定していた数値とあまりにも違いすぎて、『お前は誰だ?』みたいな感じで反応してくれないんです(苦笑)。野球を辞めてまだ少ししか経っていないんですけど、そんなに変わってしまったのかなと。だから、とにかく体を動かしたいですね」

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