東海大相模、唯一の「想定外」がもたらした45年ぶり日本一 (2ページ目)

  • 柳川悠二●文 text by Yanagawa Yuji
  • 岡沢克郎●写真 photo by Okazawa Katsuro

 準決勝の関東一戦を前にした18日の練習では、シートノックに長い時間を割いていた。形式的にレフト、センター、ライトへノックを打つのではなく、ランダムに状況を設定してあらゆる種類の打球を飛ばしていた。

「打者はオコエ!」

 そういって右中間へノックを打ったり、三塁線へバントしたり。野手に的確な状況判断を求めるこの練習ならば、攻撃時の走塁判断にも生きていく。

 これが日本一を目指すチームの練習かと得心がいったものだ。門馬監督は言った。

「攻撃は最大の防御であり、攻めの守りは必ず攻撃にもつながります。守りでも攻撃でも、すべての試合展開が"想定内"であるように、心掛けています」

 昨年5月、師である原貢氏が亡くなった。門馬監督は師の生前、ことあるごとに「お前は投手交代が遅い。もっと動け!」と言われていという。ゲームの序盤から主導権を握り、対戦相手を圧倒するのが、"原貢野球"であり、"アグレッシブベースボール"であった。

 この夏には東海大相模のグラウンドのベンチ横に、原氏が好んだ「和と動」の言葉が書かれた石碑が建てられた。神奈川大会中は選手とともにこの石碑を磨き、お祈りして試合に臨んだ。「小心者なんです」と笑う門馬監督にとって験担ぎのひとつだった。

 今大会の門馬監督は、投手交代に限らず、攻撃の面でも初回からチームを積極的に動かしていった。

 たとえば準決勝の関東一戦。初回の攻撃では先頭打者が出塁するとバスターエンドランを仕掛け、先制点を奪う。さらに4番・豊田寛の2ランも出て、わずか10球で4点を先制した。試合は10-3で勝利。

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