【高校野球】花巻東・大谷翔平「10年後はメジャーの一線級で活躍していたい」 (2ページ目)

  • 三田紀房●インタビュー interviewed by Mita Norifusa
  • photo by Sportiva

おおたに・しょうへい/1994年、岩手県出身。小学校3年から野球を始め、中学時代には一関シニアで全国大会に出場。花巻東に進学し、1年夏からベンチ入りを果たし、1年秋からエースに。2年夏、3年春と2度の甲子園に出場するもともに初戦敗退。3年夏の岩手県大会で高校生史上最速の160キロをマーク。プロ野球のみならずメジャーからも熱い視線が注がれている(photo by Kouchi Shinji)おおたに・しょうへい/1994年、岩手県出身。小学校3年から野球を始め、中学時代には一関シニアで全国大会に出場。花巻東に進学し、1年夏からベンチ入りを果たし、1年秋からエースに。2年夏、3年春と2度の甲子園に出場するもともに初戦敗退。3年夏の岩手県大会で高校生史上最速の160キロをマーク。プロ野球のみならずメジャーからも熱い視線が注がれている(photo by Kouchi Shinji) 三田 準決勝のあと決勝まで、プロ野球のオールスターの開催や雨天中止などもあって、1週間ほど間が空きました。160キロを出したこともあって、すごい騒ぎになりましたが、あの1週間というのは大谷くんにどんな影響を与えましたか?

大谷 すぐに試合をしたいという思いはありました。160キロを出したことは素直に嬉しかったんですけど、それによってこんなに騒ぎになるとは思わなかったです。取材も一気に増え、もう1回160キロを出さないといけないんじゃないかと思ったりもしました。いま思うと、少し冷静さを欠いていました。それに準決勝のあとチームの雰囲気は最高だったのですが、間隔が空いたことで醒めてしまった部分もあります。気持ちの部分での調整が難しかったですね。

三田 盛岡大付属との決勝戦ですが、調子はどうでしたか?

大谷 疲れはなかったですし、体調的にはすごくよかったです。盛岡大付属とは春の県大会、東北大会で戦って敗れていたので、何としても勝ちたかった。データもしっかりあったのですが、それ以上に研究されていました。ストレート1本に絞られました。

三田 話は遡(さかのぼ)りますが、今春のセンバツは大谷くんをはじめ、大阪桐蔭の藤浪(晋太郎)くん、愛工大名電の濱田(達郎)くんがビッグ3と騒がれていました。そして初戦で藤浪くんがエースの大阪桐蔭と対戦。意識はしましたか?

大谷 注目されることは嬉しかったのですが、あまり藤浪くんに対して意識することはなかったです。ただ、これまで自分より大きな選手と対戦したことがなかったので、バッターボックスに入った時はすごく近く感じました。

三田 結局、今年の甲子園は大阪桐蔭が春夏連覇を達成しましたが、大阪桐蔭にはどんなイメージを持っていましたか?

大谷 藤浪くんもいたのですが、バッティングのすごくいいチームという印象が強かったですね。1番から9番まで隙がないというか、どこからでも点が取れるチームだと思いました。いつもなら終盤の7、8回にクリーンアップが回らないように考えながら投げたりするのですが、あの試合に関してはそうした余裕はありませんでした。

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