【自転車】片山右京「逝ったふたりに見せてやりたい」 (2ページ目)
「ふたりを助けられなかったことは、ずっと忘れることができない。自分の上には、今でもあのふたりがずっと乗っかっている。だから、絶対に停まっちゃいけないし、彼らふたりの分も、あるいはそれ以上にも頑張らなければいけないんです。あのふたりに対する懺悔(ざんげ)の気持ちは今でもなくならないし、自分はその十字架を背負って生きていかなくてはならない。その気持ちはいつまで経ってもなくならない」
余談になるが、この事故で自身を責め続けた片山は鬱(うつ)状態に陥り、自宅に引きこもって一歩も外へ出られなくなってしまう。そのときに、片山を温かく見守り、かたくなに閉ざされた精神をほぐして外に向かって再び扉を開こうと働きかけたのが、今中大介をはじめとする自転車仲間だった。現在の片山が、それまでにも増してサイクルロードレースや自転車の普及活動に精力的に取り組んでいるのは、このときの彼らのあつい友情に応えたいという思いが強いからでもある。
「事故当時の大きなショックは時間の経過とともに薄らいではいるものの、絶対に消えることはないし、事実はなくならないし、時間も巻き戻せない......。だから、自分の中でハッキリと思っているのは、死んだ仲間たちの分まで一所懸命やろう、ということ。(登山時の)テントの中で、パリダカのことや環境問題や自分たちの将来の夢をたくさん語り合って、自転車をやるんだと打ち明けたときには、(彼らふたりはレース場に)写真を撮りにも来てくれた。だから、その延長線上じゃないけど、『おい、見てるか。俺たちはついに、こんな高いところまで来ちゃったぞ』って、ふたりに見せてやりたいんだよね」
そして片山は、そこでひと息ついて少し照れたように微笑み、はぐらかすような明るい口調で言う。
「まあ、だいたい、俺の本当の姿は全然いい人なんかじゃないし、さっき言ったみたいにもともとが利己主義者だからさ、物理的にそういう方向にしていかなきゃいけないんですよ。そういう活動をしていく中で、それが少しでも人の役に立つなら、一番いいじゃないですか」
冗談めかした口調を続けながら、片山は続ける。
「何をもって幸せとするか......ということは、一概には言いにくいことではあるけれども、たとえば高級車のスポーツカーに乗って、モナコに住んで、ハワイに別荘を買って、いつでもファーストクラスで移動して......というような、そういう生活に価値があるとは僕は思わない。正直なことを言えば、若いころはそんな生活に憧れたことも確かにありましたよ。でも単純に、モノが豊かかどうかが最も大切な価値観だとは、今はまったくもって思わない。
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