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【自転車】片山右京「エースを支えるアシストライダーの役割」 (3ページ目)

  • 西村章●構成・文 text by Nishimura Akira photo by AFLO

 今年のツールでは、第15ステージがその見本のような展開になった。序盤に飛び出して逃げを試みたジャック・バウアー(ニュージーランド/ガーミン・シャープ)は、メイン集団との距離を開き、数名の選手とともに先頭で独走状態を作った。しかし、ゴール手前数百メートルで怒濤の追い上げを見せたメイン集団のスプリントにあっさりと呑み込まれ、バウアーは10位でゴール。200キロ以上独走し、文字どおり目前に迫っていた初ステージ優勝は、一瞬で消えてしまった。

 このように、逃げが成功する可能性は非常に低いにもかかわらず、それでもほぼ毎回、逃げグループは発生する。その理由は、
・自分たちを追わせることで、ライバルの体力を消耗させるため
・トップを走行するとテレビに映る機会も多く、スポンサーへのアピールになる
 などの事情がある場合が多いようだ。

 このように、逃げを試みるのはアシスト選手の重要な役割だが、その逃げを追走して潰すのもまた、アシスト選手の重要な仕事だ。

 ほかにも、アシスト選手に課せられる働きには、山岳の登りなどでペースを一気に上げて大集団を破壊して分散させ、上位走行選手の数をふるいにかける、という仕事もある。

 第13ステージでは、新城幸也(チーム・ユーロップカー)が一級山岳の登りでメイン集団のトップに出て牽引し、選手たちの数を減らしてからチームのエースに勝負を託す、という好アシストを見せた姿が印象的だった。

 TeamUKYOの中心選手である土井雪広も、欧州のプロツアーチーム時代はこのアシストが自らに課せられた役割だった。土井は、今年4月に刊行した著書『敗北のない競技』(東京書籍)の中で、アシストという仕事の重要性と達成感について、「消防士が仲間と協力して、たったひとりのケガ人も出さずに超高層ビルの火災を消し止める。その時の気持ちに近いかもしれない」と説明している。

 現在、TeamUKYOは欧州に遠征している。7月25日にスペインで行なわれた「ヴィアフランカ・オルディシアコ[1.1]」では、TeamUKYOのリカルド・ガルシアが世界的強豪のプロツアーチームやプロコンチネンタルチームを相手に健闘。優勝者と1分36秒差の19位でフィニッシュした。チームメイトのホセ・ビセンテは33位。彼らのこの活躍は、土井や、チームキャプテンの狩野智也がアシストとして重要な仕事を果たした成果でもある。

 チームの顔として華々しい結果を残すエースライダーたちの蔭で、縁の下の力持ちとして、文字どおり身を挺(てい)して献身的な犠牲となるアシスト選手たち――。その機微(きび)や信頼関係をプロトンの大集団の中に見い出すことができたとき、あなたもきっとサイクルロードレースの虜(とりこ)になるだろう。

(次回に続く)

著者プロフィール

  • 片山右京

    片山右京 (かたやま・うきょう)

    1963年5月29日生まれ、神奈川県相模原市出身。1983年にFJ1600シリーズでレースデビューを果たし、1985年には全日本F3にステップアップ。1991年に全日本F3000シリーズチャンピオンとなる。その実績が認められて1992年、ラルースチームから日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦。1993年にはティレルに移籍し、1994年の開幕戦ブラジルGPで5位に入賞して初ポイントを獲得。F1では1997年まで活動し、その後、ル・マン24時間耐久レースなどに参戦。一方、登山は幼いころから勤しんでおり、F1引退後はライフワークとして活動。キリマンジャロなど世界の名だたる山を登頂している。自転車はロードレースの選手として参加し始め、現在は自身の運営する「TeamUKYO」でチーム監督を務めている。

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