【自転車】片山右京「戦略を組み立てられなかった結成1年目」 (3ページ目)
ただ、狩野はレース界の経験が豊富な選手だけに、チームを運営する立場である片山の立ち上げの苦労は並大抵ではなかっただろう、と理解も示す。
「1年目って、なんでも大変じゃないですか。チームの予算が限られたなかで、選手だけじゃなく、自転車にかかわるものすべてをゼロから全部揃えなきゃいけない。目に見えないところでも、お金は発生していきますからね。だから、いろいろあるなかでこのメンバーが集まっているのだから、これで行くしかないと思って、自分のできる限りのことはやりました。右京さんは納得していなかったかもしれないけど……。それを考えるとチーム結成2年目は、初年度の倍じゃ済まないくらいレベルが上昇した。だって、全然走れなかったチームが、団体と個人のタイトルを獲ってしまうわけですから」
そのレベル上昇に大きく貢献したのが、ホセと土井の加入だった、と狩野は振り返る。
「レース中に僕が指示を出さなくても反応してくれたり、ライバルのチェックをしてくれたり、うまく連係できるようになった。やっとプロチームらしくなったな、という印象でした」
このように、TeamUKYOがようやく「プロチームらしくなった」のは、土井の貢献によるところが大きいだろう。1983年生まれの土井は、狩野よりも10歳年下だが、大阪・堺に本拠を置く実業団シマノ・レーシング時代から、先輩と後輩として交流が続いていた。土井はその後、欧州に渡り、プロツアーチームに所属して数々のレースに参戦。グランツールのブエルタ・ア・エスパーニャも2年連続(2011年・2012年)で完走した。
その土井が、2012年のシーズン終了直後に、TeamUKYOに加入すると発表した。この報せは、大きな驚きをもって迎えられた
著者プロフィール
片山右京 (かたやま・うきょう)
1963年5月29日生まれ、神奈川県相模原市出身。1983年にFJ1600シリーズでレースデビューを果たし、1985年には全日本F3にステップアップ。1991年に全日本F3000シリーズチャンピオンとなる。その実績が認められて1992年、ラルースチームから日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦。1993年にはティレルに移籍し、1994年の開幕戦ブラジルGPで5位に入賞して初ポイントを獲得。F1では1997年まで活動し、その後、ル・マン24時間耐久レースなどに参戦。一方、登山は幼いころから勤しんでおり、F1引退後はライフワークとして活動。キリマンジャロなど世界の名だたる山を登頂している。自転車はロードレースの選手として参加し始め、現在は自身の運営する「TeamUKYO」でチーム監督を務めている。
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