7人兄弟の3番目。代表FW浅野拓磨選手の家族への思い、W杯への思い (3ページ目)

 そんな浅野選手がサッカーを始めたのは小学1年生のとき。ふたりのお兄さんがサッカーをやっていた影響で、地元のサッカークラブに入ったそうです。浅野選手の才能は早くから開花して、中学では大きな大会でも活躍。ただ、そのままスムーズに「強豪校へ進学」とはなりませんでした。

 強豪校、特に県外の高校に行くとなれば、お金が必要になります。中学時代の浅野選手は「両親や家族に迷惑をかけたくない。兄たちも強豪校には行ってないから、自分だけが行かせてもらうわけにはいかない」という思いもあって、サッカー部があれば、どの高校でもいいと考えていたのです。どこの高校であっても、自分がチームを引っ張って全国大会や国体に出場して、そこで目立った活躍ができれば「プロへの道が開くはず」と考えていました。
photo by Yamamoto Raitaphoto by Yamamoto Raita
 しかし、浅野選手の才能を見込んでいた中学サッカー部の顧問の先生は、「才能を磨くならやはり強いチームで」と、浅野選手の自宅から比較的近い三重県の名門、四日市中央工業高校(四中工)を勧めてくれたそうです。とはいえ、遠征費なども必要になるため、浅野選手自身は「やっぱり無理です」と最初は断っていました。

 それでも、なんとか浅野選手の才能を伸ばしたいと、先生は連日のように浅野選手の自宅に電話をかけて、ご両親とも何度も話をしたそうです。そして、浅野選手も次第に「できることなら四中工に行きたい」と考えるようになっていきました。

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