ソチでの発言に期待。熱きスケーター町田樹の言葉へのこだわり (3ページ目)

 その言葉のとおり、今シーズンはGPシリーズのロシア大会とアメリカ大会で優勝し、ファイナルでは4位。そして、全日本では2位表彰台でソチ五輪代表の座を獲得したのです。

昨年12月の全日本選手権で町田(写真左)は2位。優勝は羽生結弦(中央)、3位は小塚崇彦(右)photo by Noto Sunao昨年12月の全日本選手権で町田(写真左)は2位。優勝は羽生結弦(中央)、3位は小塚崇彦(右)photo by Noto Sunao そうした言葉を考えることを通じて「『町田樹』というスケーターを作り上げている」という町田選手。それを「セルフプロデュースのひとつ」と表現していましたが、そうやって独自の世界観を構築しているのだと思います。

 町田選手の飛躍のきっかけとなったのは、不本意な結果に終わった12年の全日本選手権でした。9位と目標に遠くおよばない惨敗だったため、町田選手は「もうフィギュアスケートを辞めようと思うくらい落ち込んだ」といいます。そんなとき、友人が出場した大会の応援に行った帰り道で偶然、かつてお世話になった大西勝敬コーチに会ったのです。町田選手はそこで大西コーチに「これからどうしたらいいんでしょうか」と自分の悩みを相談したところ、大西コーチは「じゃあ一緒にやろう」と提案してくれたそうです。

 当時、アメリカを拠点にアンソニー・リュウコーチの指導を受けていた町田選手でしたが、そろそろ日本へ戻ろうと考えていたこともあり、大西コーチとの再会をきっかけに大阪を拠点にすることを決意。髪形を丸刈りにして初心に戻り、基礎の基礎であるスケーティングの技術から見直して、トレーニングを再開したのです。

「大西コーチは僕のためにすべてのことを全力でやってくれる人。雨の日にランニングをする時も自転車で並走してくれて、自分がずぶ濡れになりながら僕が濡れないように傘をさしてくれるんです」と感謝の気持ちを述べていた町田選手。そして、「僕も命懸けでやっています」と語っていた大西先生。「熱血」という言葉がぴったりあてはまるふたりの強い絆を感じます。

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