4回目の五輪へ。スノーボード・竹内智香選手の決意 (2ページ目)

 その後、スイスチームのコーチや、09年の世界選手権銅メダリストのパトリシア・カマー選手(スイス)にも教わりながら、08-09シーズンにはW杯で4回2位になり、総合でも3位という素晴らしい成績を収めました。

「技術も力もなかった自分を受け入れてくれたスイスチームには、本当に感謝している」という竹内選手は、3回目の五輪となった2010年のバンクーバー大会は13位。不本意な結果だったと思いますが、そこからさらに成長するために、大会後、五輪や世界選手権で表彰台に上がる選手を育てていたフェリックスコーチとパーソナルコーチ契約を結んで活動を始めました。

4回目の五輪となるソチで上位を狙う竹内智香 photo by Roberto Zanettin/AFLO4回目の五輪となるソチで上位を狙う竹内智香 photo by Roberto Zanettin/AFLO フェリックスコーチに口を酸っぱくして言われたことは、「10本すべてを技術的に完璧にできるようにすることが本番につながる」ということ。試合では予選から10本前後の本数を滑ることになりますが、最後の決勝で一番いい滑りをしなければいけない。ただ、彼女の場合「こうすれば......」とアドバイスを受けてすぐにできてしまうので、5、6本やって納得してしまうと練習を切り上げてしまっていたそうです。

 フェリックスコーチはそうした妥協を許さなかったのですが、対する彼女は「自分が納得できなければ従わない性格」なので、パーソナルコーチになってもらって最初の1年は「私はすごく教えにくい生徒だったと思います」と笑っていました。

 フェリックスコーチが他の選手に教えていると「私のコーチでもあるはずなのに、何で全然見てくれないんだろう」と思ったこともあったそうです。そして、一度、意見がぶつかって言い争った時には「もうスタートラインに来ないで!」とまで言ったといいます。

 そのようなぶつかり合いがあったからこそ、思っていることをお互いにストレートに言い合えるいい関係になったそうですが、しばらくしてコーチから提案されたのが「スイスチームを離れて日本チームに合流しよう」ということだったそうです。

 竹内選手は「強い国のやり方で練習しなければ勝てない」ということを、日本人選手に知ってほしいという気持ちがあったからこそ、日本とスイスの半々を拠点にしていたのですが、バンクーバー五輪の時「半分は日本チームで半分はスイスチームのような気持ちだった」といいます。

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