富栄ドラムが振り返る力士時代 日馬富士の付け人として学んだこと、貴景勝の連勝を止めた取組 (4ページ目)

  • 取材・文●白鳥純一 text by Shiratori Junichi

――印象に残っている取り組みはありますか?

ドラム 現在、大関として活躍している貴景勝関との取り組み(2015年3月)ですね。貴景勝関が「世界ジュニア相撲選手権大会優勝」の肩書きを引っ提げて角界に入ってきた時に、貴景勝関の連勝記録を止めたのが僕なんですよ。今では、それがちょっとした自慢なんです。

 当時の貴景勝関は、「佐藤」という四股名で相撲を取っていたんです。試合前に佐藤の取り組みをYouTubeで見て、「勝てそうだな......」と思ったんですが、いざ土俵に上がってみると、動画とは別人の佐藤関が出てきたんですよ(笑)。

――ご覧になられていた動画は、同じ四股名の別人のものだった?

ドラム そうなんです(苦笑)。実際に貴景勝関の姿を見た時には「前の場所で序二段の優勝インタビューを受けていた人だ」と驚きましたけど、緊張せずに取り組みに入れたせいか、なんとか勝つことができて。今振り返ると、力まなかったことが勝因だったのかなと思います。

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――現役時代、取り組み前の土俵ではどんなことを考えていましたか?

ドラム 僕は身体が小さいですし、普通のやり方ではなかなか勝てない。取り組みが始まった瞬間に「火事場の馬鹿力」を出せるように、気持ちや精神を落ち着かせていました。

 相手の出方によって柔軟な対応が求められる点では、芝居の掛け合いと相撲の試合は似ているところがあると思います。『VIVANT』の撮影中も現役時代を思い出しながら、とっさのことにも対応できるよう、他の役者さんたちのちょっとした仕草でも見逃さないようにしていました。

――ケガによって2021年に引退することになるわけですが、その時の心境を聞かせてください。

ドラム ケガがなければ、今でも相撲を続けていたかもしれませんね。それ以外に、コロナ禍や身内に不幸があったことなどさまざまな要素がありましたが、「次のやりたいことに向けてスタートを切ったほうが、僕の人生にとって有意義なのでは?」という思いが強くなりました。当時の僕は20代の後半に差し掛かっていたのに、まだ車の免許すら持っていなかった。各界以外の世界を何も知らない自分に気づいて、危機感を抱くようになったんです。

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