水野裕子「芸能界No.1女子アスリートの肩書きは重かった」 完全制覇を逃した『KUNOICHI』は「今も夢に見る」
水野裕子 インタビュー前編(全3回)
「元祖筋肉アイドル」として2000年代からのスポーツ系番組で活躍してきた水野裕子さん(41歳)。デビューから25年間、さまざまなスポーツに挑戦し、そのひたむきな姿勢が視聴者を感動させてきた。しかし、若い頃は知られざる苦労もあったという。今回、スポーツを中心とした水野さんのキャリアについて伺った。
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【元祖筋肉アイドルの意外な幼少期】
ーー1998年に芸能活動を開始し今年で25周年となりました。
水野裕子(以下同) 25年って四半世紀ですよ、おそろしい......。でもまだデビュー当時の記憶は色濃いです。
ーーデビュー当時はスポーツが中心となる芸能生活を想像していましたか?
まったくです。スポーツ関連の番組によく出演してた時もびっくりされることが多かったですけど、私はそれまでスポーツに本格的に取り組んだことってなかったんですよ。
ーーそうなんですか!?
小学生の時にミニバスケットとソフトボールを軽くやっていて、中学校では部活でバスケをやっていました。でも、高校は部活すら入ってなくて、バイトとストリートダンスの教室に通っていただけですね。
バスケ部では、他の部員より物量的にも熱量的にもしっかりやっていたとは言えませんでした。小さい頃から男の子に交じってよく走り回ってはいましたが、小学校の持久走は6年間、すべて下から10番以内でしたし。
ーーそれがなぜ「元祖筋肉アイドル」に?
私は、芸能人になってどうなりたいなんて何も考えてないまま、ノリで受けたオーディションにたまたま受かってデビューしたんです。そのあと『王様のブランチ』(TBS系)レポーターをやるようになったんですけど、そこがきっかけだったと思います。
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著者プロフィール
武松佑季 (たけまつ・ゆうき)
雑誌ライター。1985年、神奈川県秦野市生まれ。編集プロダクションを経てフリーランスに。インタビュー記事を中心に各メディアに寄稿。東京ヤクルトファン。サウナー見習い。