クリープハイプ・尾崎世界観が「音」と共に思い出す1990年代のヤクルト「自分がファンだということは、内緒にしていた」

  • 白鳥純一●文 text by Shiratori Junichi
  • 山口直也●撮影 photo by Yamaguchi Naoya

――今季も、ヤクルトに熱心な声援を送られた尾崎さんですが、そもそもどのようなきっかけでヤクルトファンになったのでしょうか?

「1992年に、神宮球場で行なわれた巨人戦を父親と一緒に観に行ったのがきっかけです。球場に流れる応援歌やチャンステーマを聴いたり、大勢のファンが盛り上がる外野席の雰囲気を遠目から眺めたりするのが好きで。そうして、最初は神宮球場の音や雰囲気に魅了されました。

 この年にセ・リーグ優勝を達成したヤクルトは、日本シリーズで西武と対戦して、その第1戦で杉浦亨選手が代打満塁本塁打を放つ様子をテレビで見たんです。そこから、徐々に野球への興味を深めていきました」

――当時の尾崎さんが応援していた選手は?

「小学生の頃は、飯田哲也選手を応援していました。俊足で強肩というプレースタイルはもちろんですが、当時の球場で流れていた、ドリマトーンという楽器で奏でられる登場曲も気に入っていました」

――やはり、音と関係がある記憶が多いんですね。

「そうですね。夏休みの時、ラジオのナイター中継が流れる部屋の窓から風が入ってくる瞬間や、試合経過を伝えるニッポン放送の効果音だったり、音の記憶は多いですね。試合でいうと、日本一になった1993年の中日戦(9月3日)もよく覚えてます。延長15回に迎えた無死満塁のピンチを、ギャオス内藤(当時は尚行)投手が3者連続三振で切り抜けたんです。この日の試合は『絶対に負けたな』と思っていたので、内藤投手が抑えてくれた時はすごく感動しました」

――友達と野球の話をすることもありましたか?

「1992年にヤクルトがリーグ優勝した時、まだ小学校2年生だったので周囲に野球の話をする人はいなかったんですが、翌年くらいから徐々に話すようになって。西武と2年連続の対戦となった1993年の日本シリーズは、学校の教室で見た記憶がありますね。当時は平日の昼間に試合が行なわれていて、『今日は日本シリーズがあるから、特別に授業で見よう』と先生が言ってくれたんです。

 スワローズの選手たちが、クラスメートの目の前のテレビの中でプレーしている様子は不思議でした。『自分の大切なものをみんなに取られたくない』という気持ちもあって......。だから、『自分がヤクルトファンだ』ということは、内緒にしていたんです。みんなの楽しそうな姿を見るのが、ちょっと嫌だったことを覚えています」

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