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バスケ動画が大バズリしたモデルの菜波。中高6年間は部活で「しょっちゅう泣いていました」 (2ページ目)

  • 永塚和志●取材・構成 text by Kaz Nagatsuka
  • 猪岐沙矢佳●撮影 photo by Inomata Sayaka

バスケに捧げた学生時代

―― 中学からバスケを始めて、高校に上がる際も迷いなくバスケ部に入部しようと思っていたのですか?

菜波 正直、中学の練習が本当に厳しくて毎日死に物狂いでやっていたんです。連帯責任で「罰走」っていうのがあって、たとえば誰かがフリースローを外したら、みんなで走らされたりとか。本当に辛かった。でも、私は辛さよりもバスケの楽しさが勝っていましたし、これだけ辛い思いをしながら頑張って上達してきたのだから、高校でもやっぱりやりたいなって。高校でも何かに打ち込みたいという思いはあったので、迷わずバスケ部に入りました。

――青春をバスケに捧げていたんですね。

菜波 そうですね。中学も高校もバスケ部の練習量がすごく多くて、友達と遊ぶっていうのができませんでした。練習が終わってもバスケ部の子たちと一緒にいる感じで、やんちゃのひとつもできなかったです(笑)。バスケ部以外の先生たちからも見られていて、何かしたら顧問の先生に話が伝わってしまいますし。だから、多少の失敗をしていいような時期に、もうちょっと何かやっておけばよかったというのはあります(笑)。

―― 悔し泣きをしたなど、エピソードはありますか?

菜波 本当に負けず嫌いなので、しょっちゅう泣いていましたね。悔し泣きばかり。練習試合でもすごく頑張って相手を抑えたのに、負けたとか、自分のプレーがうまくいっても、みんながまとまらないとチームとしてうまくいかないときとか。反対に、他の子がすごく調子よかったのに私は相手のエースのセンターの得点を止められなかったとか、「悔しい要素」はいっぱいありました。

―― 逆に菜波さんご自身が活躍したとか、勝ってうれしかったという試合はありますか?

菜波 私が高校2年生の時に、3年生の先輩の引退前、最後から2つ目の試合だったと思うんですけど、相手のセンターがエースで、けっこう強いチームと対戦をしました。コーチからは私がそのエースにつけと言われて、「どうしよう」と思いながら、なんとか食いついて、けっこう得点を止められたんです。そのお陰で、などは思わないですが、試合には勝てました。私もみんなも内心「このチームに勝てるだろうか」と思って臨んでいたので、先輩の引退直前のその試合に勝てたのはすごくうれしくて、自分の自信にもなりました。

―― 他にバスケをやっていてうれしい思い出はありますか?

菜波 女子チームではみんな、コートネームを持っていて、先輩が話し合って決めてくれるんですけど、私のコートネームは"キー"でした。英語のKey、です。チームの"鍵"となる存在になるようにっていう意味で先輩がつけてくれたのですが、それがすごくうれしくて。めちゃくちゃ気に入っています。響きも可愛くないですか?(笑)

 高校を卒業してからキーって呼んでくれるのが、当時のチームメイトくらいなので、ちょっと寂しいですけど、いまだにコートネームで呼び合うので、そういう時は当時に戻る感じで、安心しますね。

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