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新井恵理那が語る高校弓道部での青春。主将としての苦悩、後輩ふたりの活躍に涙 (2ページ目)

  • 都丸優子●文 text by Tomaru Yuko
  • 佐野隆●写真 photo by Sano Takashi

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【高校時代は1日100本以上、弓を引いていた】

――的までの距離は28メートル。学校の25メートルプールよりも長いですね。

新井 弓道は、的にあてるだけでも難しい競技です。あてた本数で競うのか、的心(てきしん)といって、矢が真ん中に近ければ勝者になるのかは、大会やルールによって異なりますが、基本的にはあたるか抜ける(外れる)か、になってきます。『体育会TV』独自のルール(より中心を射抜いたほうが勝ち)は、非常に厳しくて(笑)。すごく難しいです。

――高校時代の部活動では、どのような練習をされていたのですか。

新井 とにかく弓を引くこと、ですね。平日は、授業が終わると道場まで走って行って、5分で着替えると、ひたすら弓を引き続けていました。同じ動作をするんですけど、弓道の筋肉は弓道で鍛えられるし、課題が見つかると次の一射で変えてみる、というのを繰り返して、1日100本以上引いていました。

――どこの筋肉が鍛えられるんですか。

新井 特に、右腕の上腕三頭筋という二の腕の下側の筋肉を使うので、すごく太くなっていました。左右で太さが違いましたね。弓を引く時に肩甲骨の辺りを使うので、背筋もついていたと思います。

――約50人の部員の中で主将も務めたそうですね。大変だったのは、どんなことでしたか。

新井 2年生から主将を任せてもらっていました。主将として、厳しくあることが難しかったです。元来の私の性格は、人に厳しくできないし、自分にも甘い人間なんです。部員たちに何かを言う立場になった時に、自分がちゃんとやっていないと、ほかの人にも言えないですし。みんなのお手本になる行動をしなきゃいけないってところで、日常生活から常に襟を正していたのは、当時、高校生だった自分にとっては、すごく頑張ったんじゃないかなって、思います。

――どういうことを厳しく言っていたのですか。

新井 本当に細かいことです。道場での過ごし方や、返事はハッキリ大きい声でとか、ていねいに掃除をするとか、1年生の時に注意された言葉遣いとか、すべてのことについてです。武道だなと感じるところですね。

【後輩の活躍は、涙が出るほどうれしかった】

――先輩と後輩の上下関係も厳しそうですね。

新井 ものすごく厳しかったです。部活動の時間外、たとえば、お昼休みでも校舎で先輩を見つけると、走って行って45度おじぎをして大きな声であいさつをするので、友人を置き去りにして廊下の端まで駆けていくことも多々ありましたね。すべてが先輩優先で、細かいことまでやらないといけない状況だったので、いろんなところに目を配れるように鍛えられました。

――部活動での、いちばんの思い出というと?

新井 東日本大会の団体戦でベスト16まで行けたことです。個人としての成績はほとんど残せない3年間でした。

 後輩の指導もしていましたね。部内では、先輩それぞれに後輩がついて、師弟関係を築いていました。私についてくれた女の子の後輩ふたりが、それぞれ個人でインターハイに出場したんです。それを決めた関東の試合で優勝した時は、目の前で応援していて、嬉しくて涙が出ました。

――青春ですね!

新井 青春でした(笑)! 自分自身が頑張った結果が出るかどうかではなく、他の人が結果を出すことで喜んだ記憶は、それが初めてだったように感じています。いいことを学びました。

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