北島康介の名言「ちょー気持ちいい」が生まれたアテネ五輪の舞台裏 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by AP/AFLO

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 しかし、5月のヨーロッパ高地合宿を経て出場したヨーロッパグランプリでは、またしても泳ぎが崩れてしまった。続くローマ大会200mでは、長水路として01年世界選手権以来の敗戦を喫した。

 その後も苦難は続く。帰国後には左ひざにガングリオン(腫瘤)ができてしまい、治療でそれを潰したため、高地合宿に出発する6月末の時点では平泳ぎを泳げない状態になっていた。

 そしてスペインのグラナダ合宿中、調子が上がらない、北島の元に衝撃的なニュースが届いた。7月9日の早朝、全米選手権でブレンダン・ハンセンが100mで59秒30の世界記録を出したと連絡があったのだ。その3日後には、ハンセンは200mでも2分09秒04の世界記録を出した。

 その報せで北島に気合いが入った。それでも、平井コーチが本当に戦えるようになったと思えたのは、アテネ五輪の10日前。最後の調整合宿を行なっていたイタリアのサルディニアに入ってからだった。

「サルディニアに入ってからの康介は、日に日に自信に満ちた顔になっていった」(平井コーチ)

 メディアにも公開した練習のタイムで、その自信が本物であることを証明していた。それでも、平井コーチが危惧する部分はあった。もし、ハンセンが全米で出した59秒30と同レベルのタイムを本番で出して来た時に、はたして北島が対抗できるかということだった。それは困難なことにも思えた。そのために平井コーチは、「予選からハンセンにプレッシャーを与える泳ぎをする」という作戦をとった。

 競泳初日の8月14日、昼に行なわれた100m平泳ぎ予選。北島は滑らかに力強い泳ぎで、五輪新となる1分00秒03を出した。対してハンセンは1分00秒25だった。

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