日本シンクロ女子。
「恐怖の練習」で取り戻したチーム銅メダル (2ページ目)
アテネ五輪後、日本代表を指導する立場から離れていた井村は、08年北京五輪、12年ロンドン五輪は中国のヘッドコーチを務めた。ライバル国をシンクロ強国へと引き上げる一方、メダルがないことが当たり前となった日本を寂しい思いで眺めていた。
「2年半前に日本代表のヘッドコーチに復帰したときには、日本語が通じなかったんだから。私が怒っても、なぜ怒っているのかを選手たちが理解できなかった。日常生活からおかしい。アスリートとして練習態度もおかしい。練習への取り組みも、気持ちの持ち方もおかしい。私は、練習で全力を出して、自分の限界を上げていくのが練習だと思っていますが、あの子たちは試合用の自分と、練習用の自分を作っていた。それはアスリートじゃないと言ったけど、誰も分からなかった」
特効薬はメダルしかないと考えた。世界選手権でメダルを手にすれば、アスリートとしての自覚が生まれるだろう、と。
「ようやく日本語が通じだしたのは、(デュエットとチームで銅メダルを獲得した)去年の世界選手権(ロシア・カザン)の3カ月ぐらい前じゃないですかね。彼女たちも私と一緒にやっていたら、メダルを獲れると思ったんでしょう。ただ、私からすればそれも違う。私にただついてくるだけじゃなく、彼女たち自身が変わる必要性を感じないといけないのに......そのあたりはまだまだです」
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