【水泳(視覚障害)】秋山里奈「3度目のパラリンピック」で金メダルを

  • 星野恭子●文 text by Hoshino Kyoko
  • 越智貴雄●写真 photo by Ochi Takao

復活した得意の種目・背泳ぎで金メダルを目指す秋山里奈選手復活した得意の種目・背泳ぎで金メダルを目指す秋山里奈選手「いろいろあったけど、吹っ切れた。ここまできたら、ロンドンで絶対に金メダルを獲る!」

 盲目のスイマー秋山里奈は、3度目となるパラリンピック、ロンドン大会に向けて静かな闘志を燃やす。

 生来の全盲ながら、3歳から始めた水泳で頭角を現した秋山は16歳でアテネ・パラリンピックに初出場。大会規模の大きさに圧倒されながらも、得意の100m背泳ぎで銀メダルを獲得する。

「メダルなんて考えてもいなかったので、びっくり。とっても嬉しかった」という秋山は達成感に浸った。その後、大学受験に失敗すると、受験勉強に専念するため、ためらうことなく1年半、水泳から離れた。

 復帰したのは大学合格後、北京パラリンピックが1年半後に迫った2007年の春。きっかけは北京に向けた強化指定選手に選ばれたことだった。

「次はどうしようかなって思っていたときでした。アテネで金メダルが獲れなかったことはやっぱり心残りだったので、北京でそのチャンスがあるならと復帰を決めました」

 練習はほぼ毎日。3歳から所属する地元のスイミングクラブを拠点に遠藤基コーチの指導のもと、ブランクを埋めるよう泳ぎ込みに励んだ。成果はすぐに表れる。復帰から3カ月後の7月、国内大会で当時の世界新記録を更新し、北京に向けて大きな手ごたえを得た。

 だが、そんな矢先、どん底に突き落とされることが起きた。北京での実施種目から、視覚障害クラスの背泳ぎが廃止されたのだ。

「今まで何のためにやってきたんだろう......」

 一時は絶望したが、周囲の励ましもあり、「金メダルのチャンスは他にもある」と自由形での挑戦を決意する。背泳ぎと自由形ではフォームが全く異なるため、短期間での転向は大きな賭けだったが、秋山の決意は揺るがなかった。

 フォームを一から直す覚悟で自由形の練習に明け暮れた。「これ以上、頑張れない」という日々を経て、秋山はついに自由形でのパラリンピック出場権をつかみ取る。

 結果的に北京では、100mは予選落ち、50mでは8位入賞に終わったが、「真剣に、精一杯努力した結果。アテネの銀メダルよりも、嬉しい8位入賞です」

 大きな満足感を覚える一方で、不完全燃焼感もくすぶっていた。「やっぱり大好きな背泳ぎで、もう一度戦いたい」と強く思った秋山は、まずは10年の世界選手権での世界新記録更新を目標に置く。07年に秋山がつくった世界記録はすでに塗り替えられていたからだ。

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