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【箱根駅伝 名ランナー列伝】鎧坂哲哉(明治大) 43年ぶりのシード権獲得から49年ぶりの総合3位まで古豪復活を体現した紫紺のエース (2ページ目)

  • 酒井政人●取材・文 text by Masato Sakai

【万全ではないエースが生んだチームの結束力】

 往路が行なわれた1月2日の時点でも、出走できるかどうかは微妙な状態だった。

「往路が終わって、当時の駅伝監督である西弘美さんから電話で『明日1キロ3分20秒でベース走できそうか?』と聞かれたので、『それはできそうです』と答えて、10区の出走が決まったんです。それがレース当日の朝に『3分10秒でいけるな?』と言われて、スタート直前には『3分(00秒)で追いかけろ!』となったんです(笑)」

 万全の状態からは、ほど遠かった。それでも紫紺の絶対エースは、最後の箱根で意地を見せた。10区を4位でスタート。1分13秒先を走っていた早大を追いかけ、逆転に成功する。区間4位の走りで、明大を49年ぶりとなる総合3位へ導いた。

 もし故障がなければ、最後の箱根駅伝は2区でどんな走りを披露していたのだろうか。

「3年時は安全なレースというか、トータルでまとめる走りをするかたちだったので、もう少し攻めたいですね。駅伝は流れが大事ですし、4年時は1分ぐらい速く走れるかなという気はしていました。そのぐらいでは走るんだという強い気持ちで臨んだと思います」

 ファンとしては、万全の状態の鎧坂が最後の2区を走る姿も見たかったところだろう。ただ本人は、自分が本来の区間を走れなかったことが、結果としてチームにプラスに作用した部分もあったと振り返る。

「チームのみんなが『鎧坂に楽をさせよう』と言って、すごく頑張ってくれたんです。その結果がよかったかもしれません」

 3区を予定していた1学年下の菊地賢人が急遽2区に入り、区間5位と好走。大六野秀畝、八木沢元樹、有村優樹ら1年生も力を発揮した。

「みんなに少しでも、前へ、前へ、という気持ちがあったからこそ、あの年はうまくいったのかなと感じています。最終学年でしたし、近年では明治の最高順位。いろんなことを含めて、4年間で最も印象に残っています」

 鎧坂は4年間すべて箱根駅伝に出場した。1年時は1区3位、2年時は3区3位、3年時は2区3位。そして4年時は万全ではない状態で10区4位。大崩れすることなく、常にチームを上位へ押し上げた。

 大学卒業後は旭化成に進み、日本選手権10000m優勝、2015年北京世界選手権10000m出場など、トラックでも活躍。ニューイヤー駅伝では2017年から2020年まで4年連続優勝メンバーに名を連ねた。

 かつて箱根路から遠ざかっていた明大が、再び優勝争いを意識するチームへと変わっていった時代。その中心には、故障を抱えても結果を残し続けた紫紺の絶対エースがいた。

 最後の箱根でエース区間を走れなかったことさえ、チームをひとつにする力に変えた。鎧坂哲哉は、まさに"明大復活"を体現したランナーだった。

●Profile
鎧坂哲哉(よろいざか・てつや)/1990年3月20日生まれ、広島県出身。世羅高(広島)―明治大―旭化成。箱根駅伝には4年連続で出走し、1年時から1区、3区、2区とそれぞれ区間3位。4年時は故障に悩まされながら10区区間4位の走りを見せ、チームを49年ぶりの総合3位に押し上げた。卒業後はトラック、駅伝で息長く活躍し、現在は旭化成のプレーイングコーチを務めている。

【箱根駅伝成績】
2009年(1年)1区3位・1時間04分53秒
2010年(2年)3区3位・1時間03分08秒
2011年(3年)2区3位・1時間07分36秒
2012年(4年)10区4位・1時間11分10秒

著者プロフィール

  • 酒井政人

    酒井政人 (さかい・まさと)

    1977年生まれ、愛知県出身。東農大1年時に出雲駅伝5区、箱根駅伝10区出場。大学卒業後からフリーランスのスポーツライターとして活動。現在は様々なメディアに執筆している。著書に『箱根駅伝は誰のものか』『ナイキシューズ革命 〝厚底〟が世界にかけた魔法』など。

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