【箱根駅伝 名ランナー列伝】藤原正和(中央大) 平成以降の唯一の金字塔として輝き続ける2区&5区 "ダブル区間賞"獲得 (2ページ目)
【最初で最後の2区で区間賞、そしてマラソンへ】
そして最後の箱根駅伝(2003年)はついに花の2区に登場する。8位で走り出すと、トップを奪取。区間歴代4位(当時)の1時間07分31秒で走破して、箱根路のヒーローになった。
「最後はわがままを言って、2区を走らせてもらいました。基本、風が追うコースですし、前半の10kmをガンガン飛ばしていきましたね。権太坂のところで多少タイムは落ちましたけど、アップダウンを使ってうまくリズムをとり、最後まで押しきれたかなと思います。
5区をやったから2区終盤の上りをうまく走れるかというと、それは別物です。僕はいけるところまでガンガン攻め込んでいくというスタイルでしたけど、当時はマラソン練習をやっていたので、23kmなら絶対に持つという自信がありました」
学生時代からマラソンでの勝負を考えていた藤原。4年時は夏合宿で40km走を行なうなど、シーズンを通してマラソンを意識したトレーニングを積んでいたという。
「当時、日本学生長距離界のエースは卒業前のマラソンで結果を残していたんです。駒大・藤田敦史さんが日本学生記録を作り、早大・佐藤敦之さんが2時間9分台に突入しました。そういう選手に憧れがありましたし、僕もマラソンで世界に出ていきたいと思っていました」
そして3月のびわ湖毎日マラソンで初マラソン日本最高&日本学生記録となる2時間08分12秒をマーク。狙い通り、パリ世界陸上の日本代表に選ばれた(大会は故障のため欠場)。
学業成績も優秀だった藤原は中大の卒業式で文学部史学科の総代を務めると、Honda入社後もマラソンで存在感を発揮した。2010年の東京マラソンで日本人選手として初優勝。2013年のモスクワ世界陸上と2015年の北京世界陸上に日本代表として出場した。
2016年春、藤原は低迷していた母校の駅伝監督に就任。「2~3年でシード権、5~6年で3位以内、10年で優勝を目指したい」と語っていたが、その言葉どおりの結果を残し続けてきた。箱根駅伝は就任6年目で6位、7年目で2位と躍進。就任10年目を迎えた今季は全日本大学駅伝で過去最高タイとなる2位に入っている。2026年正月の箱根駅伝で総合優勝を成し遂げることができれば、大学としては30年ぶりの歓喜となる。
Profile
ふじわら・まさかず/1981年3月6日生まれ、兵庫県出身。西脇工業高(兵庫)―中央大―Honda。出雲駅伝、全日本大学駅伝を含む3大駅伝には大学4年間すべて出場。箱根では1年時に5区、4年時に2区で区間賞を獲得。卒業直前のびわ湖毎日マラソンで当時の初マラソン日本最高記録で、夏の世界陸上パリ大会日本代表に内定した。卒業後はHondaで競技を継続し、世界陸上選手権には2013年モスクワ大会、15年北京大会のマラソンを含め計3回、日本代表に選ばれている。2016年3月に現役引退を表明するとともに、中大陸上部の駅伝監督に就任し、現在に至る。
【箱根駅伝成績】
2000年(1年)5区1位・1時間11分36秒
2001年(2年)5区2位・1時間13分52秒
2002年(3年)5区3位・1時間14分36秒
2003年(4年)2区1位・1時間07分31秒
著者プロフィール
酒井政人 (さかい・まさと)
1977年生まれ、愛知県出身。東農大1年時に出雲駅伝5区、箱根駅伝10区出場。大学卒業後からフリーランスのスポーツライターとして活動。現在は様々なメディアに執筆している。著書に『箱根駅伝は誰のものか』『ナイキシューズ革命 〝厚底〟が世界にか
けた魔法』など。
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