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野口みずき、アテネ五輪前の月間走行距離は驚異の1370km「丈夫な体に産んでくれた両親に感謝です」 (4ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【直前合宿で起きた"家出"事件】

 オリンピック直前の合宿は、世界陸上同様にサンモリッツで行なった。練習ではほとんど(設定タイムを)外さなかったが、いくらいいペースで走っても、メンタル面の強化のためもあり、廣瀬コーチは100パーセント上出来だと褒めることはあまりなかった。その狙いは後に野口も理解したことだが、トレーナーを含めて3人だけの合宿だったので、当時は少しだけ褒めてほしいと不満を感じた。

 そんなある日、野口は"家出"をした。携帯電話に何度も着信があったが、無視してミラノに行こうと考えた。だが、バスの乗り方がわからず、ホテルの裏山に身を潜めた。やがて、お腹が減り、ホテルに戻るとひどく怒られたが、「これじゃ金メダルは遠い」と自分を戒め、翌日から再び真剣に練習に取り組んだ。

「スイスでは順調に合宿を終えることができました。ただ、涼しいスイスから暑いギリシャに直接入るのは体的にしんどいので、暑さに慣れるためにドイツに寄ったんです。でも、暑くないし、ホテルの空調が効きすぎていて、寒くて風邪を引いたんです」

 アテネでの記者会見は、風邪の影響でガラガラ声になり、知り合いのジャーナリストに「大丈夫?」と心配されるほどだった。

「喉が痛いだけで熱はなかったので、なんとかなるかなと。コースも7月に一度、試走していたので、不安はなかったです。ちょうど、25km地点にカルフール(スーパーマーケット)の看板があって、それがすごく印象的だったんですけど、そこが実際のレースでも大きなポイントになるとは、その時は思ってもいなかったですね」

 アテネ五輪のため宿舎に入った野口は、いつもそうしているように、ベッドサイドに音楽を流すスピーカーを置き、洗面所にはスキンケア用品を並べた。快適になった自分の部屋で決戦の時を待っていた。

(つづく。文中敬称略)

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野口みずき(のぐち・みずき)/1978年生まれ、三重県出身。宇治山田商業高校から1997年にワコールに入社。その後はグローバリー、シスメックスに所属。2002年に初マラソンとなる名古屋国際女子マラソンで優勝、翌年の大阪国際女子マラソンも制し、2003年世界陸上パリ大会で銀メダルを獲得。そして2004年アテネ五輪では、前大会の高橋尚子さんに続く日本人女子2大会連続の金メダルに輝く。2005年ベルリンマラソンでは2時間1912秒の日本新記録で優勝。2008年北京五輪もマラソン代表に選出されるが、大会直前のケガで出場を辞退。その後は故障との戦いに苦しむも、2013年世界陸上モスクワ大会では代表の座に返り咲いた。2016年に現役を引退し、現在はメディアやイベントへの出演ほか、岩谷産業陸上競技部のアドバイザーなどを務める。

著者プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。近著に「箱根5区」(徳間書店)。

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