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野口みずき、アテネ五輪前の月間走行距離は驚異の1370km「丈夫な体に産んでくれた両親に感謝です」 (3ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【世界陸上はヌデレバに敗れて悔しい銀メダル】

 2003年8月の世界陸上パリ大会は、それまで野口が経験したことがないような激烈なレースになった。序盤は周囲の選手にマークされ、体をぶつけられることもあった。レースが動いたのは30km過ぎ、前世界記録保持者のキャサリン・ヌデレバ(ケニア)が前に出た。

「ヌデレバ選手が切れ味の鋭いスパートで前に出た時、ついていかなきゃって思ったんですが、なかなか体が動かなくて......。(ラストの)競技場に入る時も、観客の『うわー!』っていうすごい歓声が響き渡ったんですけど、これはヌデレバ選手へのものだなって思って、すごく悔しかったですね」

 野口はヌデレバに次いで2位に終わったが、日本人トップで銀メダルを獲得し、見事、アテネ五輪のマラソン代表の座を射止めた。

「それからは練習日誌に『金を取る。そのためにトレーニングする』と書いていました」

 高橋尚子と同じ金メダルの道を歩むため、野口は攻めのトレーニングを継続した。アテネ五輪のレース時、野口は筋肉質の肉体を駆使し、躍動感のある走りを実現していたが、それはこの時期にしっかりとフィジカルトレーニングを行なったからだ。

「サンモリッツに合宿に行くとトレーニングセンターがあって、そこで海外の選手はみんなフィジカルトレーニングをしていました。やらない選手もいましたが、本当に強い選手はかなりみっちり筋トレをしているんです。私もワコールの時代から筋トレはしていたんですが、その必要性を再確認し、体作りをしていました」

 走って鍛えて、東京のナショナルトレーニングセンターで測定をすると、体脂肪率は7%しかなかった。廣瀬コーチからは「競走馬みたいな足だな」と言われた。

「1カ月間で1370kmくらい走って、筋トレもして、体脂肪率を落としても体調はよく、生理もなくならなかったです。それまで生理が来なかったのは、ワコールに入って1年目の1カ月だけだったんですが、たぶんホームシックでメンタルの影響が大きかったと思います。丈夫な体に産んでくれた両親に感謝でした」

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