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國學院大が箱根駅伝初制覇へ向け地固め中 ホクレンDC出場の位置づけとエース・青木瑠郁が見せた意地 (2ページ目)

  • 和田悟志●取材・文・写真 text & photo by Wada Satoshi

【北海道らしからぬ過酷な環境下で】

 北海道の東部に位置する網走は、同市のホームページによると7月の平均気温が18.9度で、平均最高気温でも22.9度となっており、7月でも猛暑の関東地方と違って過ごしやすい。例年好記録が生まれるのも頷ける。

 ところが、今年は暖かく乾いた空気が流れ込む「フェーン現象」が発生し、ふたつの競技会が行なわれた7月19日と20日は、北海道らしからぬ異常な蒸し暑さに見舞われた。

 両日とも日中は30度を超え、過酷な条件のもと選手たちはレースに臨まなければならなかった。

 7月19日、國學院大から青木と野中恒亨(3年)が出場した、ホクレンDC網走大会の10000m最終組は19時30分にスタートした。時折雨が落ち、気温は24度と日中に比べればだいぶ下がったが、それでも蒸し暑さは残り、多少マシになった程度だった。

「明日も同じような気候のなかここで記録会が行なわれ、(國學院から)タイムを狙いにいく選手が多く出場します。僕がここで27分台を出せば、チームメイトに安心感を与えられる。"自分も記録を出せる"と思ってもらえるんじゃないか。自分がタイムを出すことはすごく重要なことだと思っていました」

 求めていた涼には恵まれなかったものの、青木はこのような使命感を持ってレースに臨んでいた。

 スタート直後から野中が積極的に前方でレースを進め、青木は後方に位置取った。序盤から集団はふたつに分かれたが、ふたりとも速いほうの集団に食らいついた。

 レースは3000mを8分20秒前後で通過し、27分台を狙えるペースで進んだ。しかし、3000mすぎに野中が遅れをとってしまった。

 青木は、先輩の平林とともに外国人勢のハイペースに食い下がった。

「平林さんが絶好調だったので、ここで勝てば箱根の2区でも(平林を)超えられるんじゃないかな。昨年のチームを超えるためには、僕が平林さんに勝つことがひとつ大事なところなのかなと思っていました」

 だが、やはり先輩は強かった。平林が27分45秒ペースで進める一方で、青木は5000mを前に離されてしまった。青木の5000mの通過は13分59秒とギリギリ27分台が狙える位置にいたものの、単独走になり、記録を狙うには少し厳しい状況になった。

「監督からは『5000m以降、しっかりと粘るのが一番大事だぞ』と言われていて、本当にきつくて、気持ちが折れそうになった時には"自分が2区を走るんだ"っていう気持ちを大事にしました」

 エース区間を走りたいという一心で、単独走になってからも淡々とペースを刻み、青木は28分48秒55の8着でフィニッシュ。日本人では近藤幸太郎(SGH)と平林に次いで3番目だった。

「記録は、最低限のタイムも出せなかったんですけど、本当にやっちゃダメなのが、同じ学生に負けること」

 27分台は出せずとも、せめてもの意地だったのだろう。岡田開成(中央大2年)や山崎丞(日本体育大4年)には勝利し、日本人学生トップの座は守った。

 なお、野中は29分14秒21で16着。一度離れてからも大崩れせず29分前半にまとめたが、自己記録(28分17秒98)によりも1分近く遅く、悔しい結果に終わった。

つづく

著者プロフィール

  • 和田悟志

    和田悟志 (わだ・さとし)

    1980年生まれ、福島県出身。大学在学中から箱根駅伝のテレビ中継に選手情報というポジションで携わる。その後、出版社勤務を経てフリーランスに。陸上競技やDoスポーツとしてのランニングを中心に取材・執筆をしている。

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