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箱根駅伝「山の神」若林宏樹の初マラソンはなぜ成功したのか? マラソンでも青学旋風が吹く?

  • 生島 淳●取材・文 text by Ikushima Jun

箱根駅伝5区に名を残した若林は、その力をフルマラソンでも発揮した photo by Kyodo News箱根駅伝5区に名を残した若林は、その力をフルマラソンでも発揮した photo by Kyodo News

正月の箱根駅伝では山上りの5区を務め、青山学院大の総合優勝に貢献した若林宏樹が、別府大分毎日マラソン(2月2日)で2時間06分07秒の初マラソン日本最高、日本学生記録に日本歴代7位の記録をたたき出し、2位(日本人トップ)に入り、驚きを与えた。

この好走の要因は何だったのか? 若林本人、また同レースのテレビ解説も務めていた青学大・原晋監督のコメントや関係者への取材から考えてみた。

【終盤の上り坂で本領発揮し快記録】

 別府大分毎日マラソン、山場は36km過ぎの上り坂で訪れた。

 4人の集団が形成されていたが、ビンセント・キプチュンバ(ケニア)が仕掛ける。すると、平林清澄(國學院大)と大塚祥平(九電工)が遅れた。

 この時、テレビの解説を務めていた河野匡氏の見立てが勉強になった。

「大塚君は目を切っていましたね。それで反応できませんでしたが、まだ追いつけるチャンスはあります」

 目を切る。一瞬、チェプチュンバから目を離した隙に、仕掛けられ、反応が遅れてしまったということだ。ロードレースの難しさ、面白さが凝縮された瞬間だった。

 その仕掛けにただひとり、反応できたのは青山学院大の4年生、若林宏樹だった。効率のよいギアチェンジで、するすると坂を上っていく。難なくキプチュンバの後ろについた。

 さすがは、若の神!

 箱根駅伝5区の山上りに対応してきた走法が、この上り坂で生きたのだ。

 このあと、若林は時折つらい表情を浮かべていたが、離れない。むしろ、箱根の山上りで見せた左右の両腕をダイナミックに振るランニングフォームで、そこから推進力を生みだしていた。「内燃機関」だけでなく、若林には確かな技術が伴っていた。

 40km過ぎには先頭に立った。いや、キプチュンバによって押し出されたというべきか。それでもレースの最終盤で若林が優勝を争っていること、そのことに興奮を覚えた。

 大学生、すごいじゃないか。

 一方、若林を押し出すことでキプチュンバは省力化を図り、競技場の手前でスパートをかけた。若林も食らいついたが、スピードで引き離される。このあたり、勝負どころの駆け引きで34歳のベテランに一日の長があった。

 キプチュンバが先頭でゴール。しかし、若林もほどなくフィニッシュ。記録は2時間06分07秒で、キプチュンバからわずか6秒遅れただけだった。

 若林のタイムは初マラソン日本最高記録、日本学生記録、そして9月に東京で開催される世界陸上選手権の参加標準記録(2時間06分30秒)を上回るものだった。

 レース後、テレビの解説を務めていた青学大の原晋監督が、「4代目山の神の称号を与えます!」と山の神認定宣言を出したことに対して、「箱根じゃないですけど」と苦笑いしつつ、冷めた感じで答えたのが、なんとも若林っぽかった。

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著者プロフィール

  • 生島 淳

    生島 淳 (いくしま・じゅん)

    スポーツジャーナリスト。1967年宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂に入社。勤務しながら執筆を始め、1999年に独立。ラグビーW杯、五輪ともに7度の取材経験を誇る一方、歌舞伎、講談では神田伯山など、伝統芸能の原稿も手掛ける。最新刊に「箱根駅伝に魅せられて」(角川新書)。その他に「箱根駅伝ナイン・ストーリーズ」(文春文庫)、「エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは信じること」(文藝春秋)など。Xアカウント @meganedo

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