箱根駅伝2025 早稲田大上位進出のカギを握る「一般組」4年生たちの誓い (2ページ目)
【最初で最後の箱根を狙う草野&和田】
初めての箱根駅伝出場を狙うのが草野と和田だ。
ともに1年目の箱根当日は、黄色いジャンパーを着て沿道で走路員を務めた。
その悔しさが出発点にはあり、4年間をかけて16人のメンバー入りを果たした。
草野は、早稲田に憧れながらも、国立の筑波大にも合格していた。
「国立のほうが経済的な負担は少ないですし、手続きのギリギリまで悩みました。結局、親が『行きたい方に行ったらいい』と言ってくれたので、小学生の頃からなんとなく憧れていた早稲田を選びました」
しかし、1年目は寮にも入れず、当然、駅伝のメンバー争いにも絡めなかった。
「1、2年の頃は、スポーツ推薦で入ってきた人たちとは、ものすごい差がありましたし、ことあるごとにその差を意識せざるをえませんでした。でも、だんだんと自分も力を付けていくうちに、一般組、推薦組という潜在的な意識は薄れていったかなと思います」
浮上のきっかけは2年生の時。ちょうど花田勝彦駅伝監督が就任した頃にあった。
チーム内にケガ人が続出しAチーム入りを果たすと、夏合宿も選抜メンバー入りを果たした。
「そこからは明確に、箱根のメンバーになれるかもしれないとイメージできるようになりました」
3年生になると関東インカレに3000m障害で出場し、憧れ続けた臙脂のユニフォームに初めて袖を通した。
「臙脂を着る試合はスイッチの入り方が違う。たくさんの応援も受けるし、内面から湧き上がる高揚感もありました」
そして、今季の関東インカレでは自己ベストをマークして6位入賞。その後から花田監督の勧めもあって、山下りの練習に取り組み、4年目にして初めて16人にエントリーされた。
「これで陸上は引退なので、最後は、小さな頃から夢だった箱根を走ってしっかり締めくくりたい。
この1年は、6区の候補が誰もいないところから始まり、僕がその穴を埋めるっていう意識で取り組んできました。しっかりと早稲田に貢献したいと思っています」
準備を万全にして、最初で最後の箱根駅伝に臨む。
一方の和田は、これまで駅伝はもとより、関東インカレなどの対校戦でも臙脂を着たことがなかった。前回は、「たぶん17番目」と惜しくもメンバー入りを逃した。臙脂を着ること自体、今回の箱根がラストチャンスとなる。
理系の学部は下級生の頃に授業が多く、和田も1年時には「競技も学業もっていうのはすごくきつく感じていました」と言う。
そんな時に、相楽豊前駅伝監督から言われた一言で考えを改める。
「相楽監督から『理工学部の人は何人も見てきたけど、学業を言い訳にしたら活躍できないよ』ってガツンと言われた時があって、その一言が心に刺さりました。学業を言い訳にしていたら、競技者として戦えないし、別にハンデをもらえるわけでもありませんから」
確かに和田の言う通りだ。冒頭のような事情から、早稲田の"一般組"はメディアで取り上げられることは多いが、文武両道を実践しているのは彼らだけに限ったわけではない。その事実は、われわれも忘れてはいけない。
和田はここぞという時に負けん気の強さを発揮してきた。例えば、メンバー入りを逃した前回、年末の早大競技会では10000mでチームトップの走りを見せた。また、目標としていた関東インカレのハーフマラソンの対校選手の座を逃した時にも、4月の日体大競技会では10000mで自己ベストをマークし、関東インカレの対校選手にも先着してみせた。その奮闘ぶりは、チームを後押ししただろう。
大学院に進む和田にとっても、今回の箱根は、競技者として臨む最後のレースになる。
「どんな展開であれ、前を向いて、最後まで諦めない走りができたらなと思っています」
早実に入学した時から臙脂のユニフォームに憧れ続けてきた。その7年分の思いを箱根路にぶつける。
われわれは便宜上、"スポーツ推薦組"と"一般組"とに区分してしまうが、彼らのなかには、その隔たりはない。競技者としてメンバーに選ばれたからには、全力でレースに挑むことに変わりはないからだ。
もちろんここで取り上げた選手全員が、最後の箱根駅伝を走れるわけではない。それでも、集大成のレースに向けて、着々と準備を進めている。箱根路に悔いを残さないように。
著者プロフィール
和田悟志 (わだ・さとし)
1980年生まれ、福島県出身。大学在学中から箱根駅伝のテレビ中継に選手情報というポジションで携わる。その後、出版社勤務を経てフリーランスに。陸上競技やDoスポーツとしてのランニングを中心に取材・執筆をしている。
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