パリオリンピック陸上・田中希実「本当に幸せを噛みしめる大会でした」 決勝に及ばずも3レースで得たものとは? (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【決勝に及ばずも3年ぶりの4分切りの意味】

田中希実は積極的なレースを仕掛けたが...... photo by JMPA田中希実は積極的なレースを仕掛けたが...... photo by JMPA 8月2日の5000mでは、スローペースの展開になっても『ラスト2000mまで余裕を持っていけば、どの位置にいても問題ない』と考えていた。その予想どおりに余裕を持って3200mから先頭に出て集団を引っ張ったが、最後の1周の急激なペースアップに耐えきれずラスト100mで失速して、最後は決勝進出の8番手に0秒98差の9位。今大会の5000mは組の着順のみが決勝進出条件だったとはいえ、記録は次の第2組の1位を上回る15分00秒62と、呆然としてしまうような悔しい敗退だった。

 だが、そのレース後、いろいろ考えた田中はこの日の1500m予選へ向けて、支えてくれている人たちや、応援してくれる人たちの存在を考えるようになったと言う。

「5000mの前は非の打ち所がない練習もできていて本当に満足してしまい、予選は普通に通れるだろうと思っていました。もし通れなくても、やるだけのことはやったからそれは仕方ないと受け入れられるし、一緒に五輪へ向かってきた、たくさんの人たちもそれで責めたりはしないだろうと......。でも予選落ちをして我に返ると、予選の前は、五輪を走ってもいないのにここまで向かってきた時間だけで幸福になってしまっていた。

 でも幸福は自分だけでのものではなく、たくさんの人が一緒に走ってきているから私がいるということを証明するためにも、私が走り抜けるしかない。それは私自身が完結するだけでいいわけではないことを、予選落ちして、やっと気づくことができたので。

だから今日は私だけのためではなく、たくさんの人の思いを乗せる走りがしたいと思いました。それは悲壮感に満ちた走りとか重いものではなく、たくさんの人が一緒に走ってくれているという安心感を持って走ること。今日はそれを最後の最後までできたと思います」

 そんな思いを大事にして臨んだ8月8日の1500m準決勝。前の第1組はスローペースの展開からラスト1周で急激にペースアップするレースになったが、田中が出た第2組は最初から3分50秒台中盤を狙うようなハイペースで進み、田中には望んだような展開になった。

 そのなかで田中は8~9番手あたりを走り、ラスト1周になってから競り負けて11位に落ちて決勝進出は逃したが、2021年の東京五輪以来に4分を突破する3分59秒70でフィニッシュした。

「今回は東京(五輪)みたいに楽しいだけではなく、苦しい時間もすごく長かったです。その間に2回あった世界選手権も苦しくて、理不尽さを感じる部分もすごくありました。

 でも今回は苦しいはずなのに、うれしさや幸せだと思う部分もあります。それは一緒に苦しんでくれる仲間の存在を改めて感じたからです。『これは私だけに与えられた苦しさじゃなく、たくさんの人と一緒に味わえるもの。たくさんの人がいるからこそ味わえる苦しみだ』と思うことができたので、本当に幸せを噛みしめる大会でした」

 東京五輪以降も常に挑戦し続けながら、「意識していながらもどこかで逃げていた」という1500mでの4分切りを、この舞台で実現できたことは大きい。これで来年の世界選手権東京大会の参加標準記録突破ともなった。だからこそ、ここからまた、新しい競技観を持った次への一歩を踏み出せる。

「今回は目に見える形で日本記録更新や8位入賞を果たしたかったけど、自分のなかではこの記録もこれからに向けて、ちょうどいいタイムだと思います。もしここで日本記録が出ていたら、オリンピックでしか出せない"幻の記録"のようになってしまうかもしれないけど、今回は、地力での4分切りと捉えています。会心の走りというより、本当に苦しみの中でなんとか粘り抜いた末の記録だからです。

 東京五輪のように、最後までノビノビ駆け抜けられる自分にピッタリのレースにいつか巡り会えることができれば、もっといいタイムも見えてくると思います」

 3レース目にしてやっと爽やかな表情になった田中。東京五輪に続く入賞という結果は逃したが、さまざまな気づきや手応えを実感する、またひとつ成長したランナーに生まれ変わることのできた大会になった。

著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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