赤﨑暁がMGCに向けて克服した課題とは?「このままではパリ五輪はコテンパンにやられる」 (2ページ目)
【MGCに向けてふたつの課題を克服】
陸上人生を歩み始めた高校の時から赤﨑の夢は、日本代表のユニフォームを着て走ることだった。
「五輪や世界陸上だけではなく、アジア大会とか日本代表として世界の人と一緒に走りたいと思ったんです。それに日本の人口1億人がいる中、マラソンで日の丸をつけて走れるのは2、3人だけじゃないですか。それってすごいことですし、将来、結婚して子どもが出来たら、子どもにも自慢できるかなと思うので(笑)」
それにしても高校から競技歴9年で夢を実現し、五輪のマラソン日本代表に上り詰めたことは、まさに快挙であり、赤﨑自身の努力と周囲のサポートの賜物だろう。
赤﨑は、中学時代はバレー部だった。地元のマラソン大会では陸上部の選手よりも速く、陸上部の監督に「朝練習だけでも来てくれ」と言われ、朝は陸上部で活動していた。開新高校に入り、本格的に陸上を始め、卒業後は拓殖大に入学し、1年目から10区を任され、箱根駅伝を走った。その後も2年の時は3区、3年は1区、主将として臨んだ4年は3区を任された。
九電工に入社したのは、大学4年の時に見たMGCで4位に入った大塚祥平の走りに感銘を受けたからだった。
あれから4年後、テレビで見ていた舞台に出場し、赤﨑は五輪の切符を掴んだのだ。
今回のMGCの出場に当たって、ふたつの課題を克服してきた。
一つ目は、35キロ以降のスタミナだ。福岡国際マラソン2022では、2時間8分切りを目指したが、35キロ付近で足が止まり、そこからの5キロは16分以上(16分2秒)かかってしまった。
「今のマラソンのレースを見ていると35キロ以降にペースアップしていくのがトレンドというか、勝ちパターンですが、自分は逆に落ちてしまった。ラスト2キロのペースも上げられなかった。そこが課題かなと思っていましたので、ジョグの時間も60分を80分にしたりして、月間走行距離も300キロぐらい増えました。ポイント練習でもラスト1本、ラスト1キロでペースを上げて切り替える練習をしてきました」
月間走行距離は900キロを超え、距離を増やすことで足に地力がついてきた。
2つ目は坂道対策だ。
MGCのコース終盤は、誰もが「勝負所」として挙げていた坂がある。赤﨑は、「もともと坂が苦手」ということで、ジョグの途中でもあえて坂道を選んで走った。
「普段のジョグもそうですし、3、4キロつづく坂道を走っていたので、最終的にはコースの最後の坂ぐらいの距離は、なんとも思わなくなりました」
課題の克服以外にもスピード強化にも余念がなかった。
「スピードには自信があったのですが、夏にドリル練習を加えたんです。地面を蹴って、しっかりと反発をもらうとか、そういうことも意識してからさらにスピードがついてきました」
2 / 3