箱根駅伝予選会に地方から参加する札幌学院大の歴史的チャレンジ「とにかく爪痕を残したい」

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Sato Shun

北海道から箱根駅伝予選会に挑戦することを決めた札幌学院大。今年も全日本大学駅伝予選を突破し、6大会連続、通算30回目の出場を決めた北海道屈指の強豪校だ。冬にロードを走れないなど決して恵まれた環境ではないが、練習を工夫し、関東から北のエリアで唯一、箱根の予選会に挑むことになる。「爪痕を残す」と鹿内万敬監督を始め、選手の士気は高い。「歴史を変える挑戦者」の旗印のもと、鹿内万敬監督は予選会でどんな走りを見せてくれるのだろうか――。

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箱根駅伝予選会、地方からの挑戦

第1回・札幌学院大学 前編

札幌学院大学を率いる鹿内万敬監督札幌学院大学を率いる鹿内万敬監督この記事に関連する写真を見る

――昨年、第100回大会箱根駅伝の全国化というリリースがされた時、鹿内監督ご自身は、どう思われたのですか。

「正直、最初はなんとも思わなかったですね。詳細が決まっていなかったので、その時点では決められない。もう少し細かい情報を教えてほしいと思っていました」

――学生たちの反応は。

「最初は、出場への反対意見が多かったです。北海道の大学に進学したということは、駅伝は全日本大学駅伝をメインに走るという気持ちでいます。箱根の予選会が入ることで過密スケジュールになり、(全日本に)ベストな状態で臨めないのは不本意だという考えがありました」

 鹿内監督がひとつ目安にしようと考えていたのが、今年3月の学生ハーフだった。関東の強豪校をはじめ、全国の学生が出場する中、チームから何名が出場し、どのくらいの順位で走れるのか。蓋を開けてみると8名の出走で、エースの渡邊隼翼の119位が最高位だった。

――学生ハーフの結果を受けて、予選会挑戦の考えに変化はあったのでしょうか。

「もし、学生に箱根の予選会に出たいという意志があるのであれば、ここを仮想箱根駅伝予選会として走り、それなりの成果と手応えを得て、予選会出場の決定につなげていこうと思っていました。しかし、この時期は雪でロードが使えず、学生ハーフに向けてという気持ちがあっても体の準備が十分にできておらず、出走者は8名しか出せなかった。ここで、あえて難しいチャレンジをすることに何の意味があるのか。ちゃんと戦える力を整えて出るべきじゃないのか。自分の気持ちの整理もできていなかったので、この頃は『予選会は無理かな』と思っていました」

――7月には、8月の全日本大学駅伝の北海道予選会の結果を受けて考えるというお話しがありました。優勝したら挑戦しようという方向性だったのでしょうか。

「いえ、そこまでは決めていませんでした。ただ地区予選に勝てないチームが、箱根の予選会に行くことがふさわしいのかと考えるところがあったので、まずはしっかりと全日本の予選会を勝った上で考えたいと思っていました」

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著者プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。

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