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最後の福岡国際マラソン。瀬古利彦、中山竹通、藤田敦史らが見せた伝説の走り3レースを振り返る (3ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Jun Tsukida/AFLO SPORT

 しかし、徐々に冷たい雨は中山の体力を奪っていく。それでも35kmまでは15分10秒台から15分22秒までのペースを維持し、35km通過は世界最高より49秒速いタイムだった。スタート時よりさらに気温も下がって5度を下回ると力尽き、35~40kmは16分20秒にタイムを落とし、世界最高の夢は消えた。

 それでも中山は1985年に出していた自己記録に3秒まで迫り、当時の世界歴代12位に相当する2時間08分18秒でゴール。伝説と言える圧巻の走りを見せた。
 
 森下広一が銀メダルを獲得し、3選手全員が8位以内だった92年バルセロナ五輪以降は低迷期に入り、福岡でも1991年の森田修一以来、日本人選手の優勝者を出せていなかった。

 しかし、1999年9月に初の2時間6分台(2時間06分57秒)を出した犬伏孝行がその厚い世界の壁を切り崩し、変化が起き始めていた2000年。シドニー五輪代表を逃していた藤田敦史が、2時間06分51秒の日本新で9年ぶりの日本人優勝を果たしたレースは、その強さを見せつけるものだった。

 ペースメーカーが最初の5kmを14分54秒で入り、その後の20kmまでは15分0秒台で引っ張って中間点通過は1時間03分28秒だった。参加選手は前年優勝で、シドニー五輪王者のゲザハン・アベラ(エチオピア/01、02年も優勝)のほか、前世界記録保持者のロナウド・ダ・コスタ(ブラジル)や、ゲート・タイス(南アフリカ)、フレッド・キプロプ(ケニア)、李鳳柱(韓国)など、錚々たる顔ぶれだった。

 だが藤田は、そんな選手たちにも臆することはなかった。25kmをすぎて15分10秒台のペースを維持するなか、28kmすぎの給水でペースアップすると、5人の集団をアベラとタイスの3人に絞り込んだ。そして31km手前でタイスが遅れてアベラと一騎打ちになると、1km3分ペースを維持しながら、なかなか前に出ようとしないアベラを牽制して蛇行したり、33kmすぎには一瞬止まって、アベラを前に出すような走りもした。

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