箱根の名選手がぶち当たるトラック競技の厳しい現実「世界で勝つしかない」

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Sato Shun

知られざる実業団陸上の現実~駅伝&個人の闘い
住友電工(2)

 田村和希は青学大時代、野球でいう「エースで4番」だった。箱根駅伝の優勝に貢献し、原晋監督から「大砲」「ゲームチェンジャー」と称され、絶大な信頼を受けていた。そんな誰もが一目置く学生トップランナーの田村が選んだのが、住友電工だった。

「実業団のチームを選ぶ時に重視したのは、メンバーのレベルが高いことです。じつは、青学を選んだのも同じ理由でした。渡辺(康幸)監督になって、(遠藤)日向が入ったり、これからもいい選手が入って強くなっていくんだろうなと思って、決めました」

青学大時代はエースとして4年連続して箱根駅伝を制するなど大活躍した田村和希青学大時代はエースとして4年連続して箱根駅伝を制するなど大活躍した田村和希 入社当時、田村のモチベーションになっていたのが大学時代に感じた自分への物足りなさだった。大学時代は箱根駅伝を勝ち続け、3年時には学生駅伝3冠を達成。それでも「満足感は得られなかった」と田村は語る。

「駅伝で結果を残せたのはうれしかったですが、個人としては関東インカレ、全日本インカレで結果を残せていなかったので......陸上は個人競技ですし、そこで結果を出して、駅伝で勝つのとは違う充実感、達成感を得たいと思っていました」

 2018年に入社し、社会システム営業本部営業企画部に所属している。所属部署の社員とはコミュニケーションが取れていて、良好な環境にいるという。練習環境にも恵まれていて、のびのびとトレーニングできているようだ。

「大学の時はあくまでも箱根駅伝を見据えた1年間であり、そのための練習だったですけど、今は自分のやりたい練習ができていますし、トラックに集中できています。その環境が自分にとってはすごく新鮮です」

 学生時代とは練習の質、量とも変わり、種目に特化したトレーニングができるようになった。競技に対する意識も大きく変わった。

「実業団は自分の好きなことをさせてもらってお金をもらえるので、結果を出すのは当たり前だと思います。実業団と言われていますが、実質的にはプロの活動に近いですし、僕は会社の看板というか、イメージを背負っているので、プロ以上にプロ意識を持たないとダメだと思っています」

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