桐生祥秀が日本人スプリンターの意識を変えた日。「世界と勝負する」 (3ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Kyodo News

 桐生はその年の6月にはダイヤモンドリーグの英国GPに主宰者招待で出場し、8月の世界選手権にも出場。さらに、大学1年の14年には、前年の日本選手権で敗れた山縣に競り勝って優勝し、世界ジュニアでは銅メダルを獲得した。

 そして、15年にはシーズン初レースだった3月のテキサスリレーで、追い風参考記録ながら9秒87で走った。その後、5月の関東インカレで左太ももの肉離れを起こして離脱したものの、9月下旬に復帰。10月の布勢スプリントでは、翌年のリオデジャネイロ五輪参加標準記録を突破する10秒09で走れるところまで戻してきていた。

 ただ、桐生の走るレースは常に9秒台が期待され、そんな状況に自身の口からは、こんな言葉も漏れていた。

「日本だと顔も知られているし、プレッシャーとは言わないまでも、レースでも雰囲気が違うじゃないですか。でも、海外へ行くと普通の日本人としか見られないし、どんな小さな大会でも会場の雰囲気が盛り上がっているから、自然にワクワクするんです。ところが日本に帰ってくると、拍手や歓声も違うから、自分で自分のスイッチを入れなければいけない。そういう気持ちになってしまうから、体がついてこないんですね。海外へ行って、そう思うようになりました」

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