2019.09.18

朝原宣治と伊東浩司。
日本男子短距離界のパイオニアが開いた扉

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

PLAYBACK! オリンピック名勝負―――蘇る記憶 第8回

東京オリンピックまで、あと1年。スポーツファンの興奮と感動を生み出す祭典が待ち遠しい。この連載では、テレビにかじりついて応援した、あのときの名シーン、名勝負を振り返ります。

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 男子100mで、日本は、1964年東京五輪と68年メキシコシティ五輪の両大会で飯島秀雄が準決勝に進出して以来、1996年のアトランタ五輪まで2次予選の壁を破れずにいた。また、200mも、東京五輪で飯島が棄権してからは、代表すら送り込めないありさまだったが、アトランタ五輪で、ついに準決勝に進出する選手が現れた。

男子100mを走る朝原宣治(写真右) 躍進したのは、五輪初出場のふたり。当時、6月の日本選手権100mで自身が持っていた日本記録を10秒14まで伸ばしていた朝原宣治と、同じく日本選手権200m予選で自身が持つ日本記録を20秒44から20秒29に塗り替えていた伊東浩司だった。日本男子ショートスプリントで、個人で戦える可能性を持った選手が出てきたのだ。

 朝原は93年に10秒19の日本記録を出しながら、走り幅跳びにも力を入れていた。だが大学卒業後、走り幅跳びの指導を受けるためドイツに拠点を移すと、そこで筋力もついて100mでも記録を伸ばしていた。

 アトランタ五輪前には「狙うのは走り幅跳びで、100mは自分の走りをするだけ」と話していた朝原だったが、陸上初日7月26日午前の100m1次予選は、優勝候補のひとりドノバン・ベイリー(カナダ/決勝は9秒84で優勝)に0秒02遅れの10秒28で2位に入った。

「日本選手権の調子で走れば準決勝進出もあると思いながら、それほど甘くはないぞ、とも考えていた。でも、1次予選を走ってみて、もしかしたら、と思うようになった」

 そう話して臨んだ2次予選では、第1組で9秒95のアト・ボルドン(トリニダード・トバゴ)に次ぐ10秒19の2位になり、着順で準決勝進出を果たした。タイムこそ全体13番目の通過だが、余裕を持った確実な走りはほかの選手に劣るものではなかった。

 27日の準決勝第1組で朝原は1レーン。ベイリーのほか、2次予選9秒93通過のフランク・フレデリクス(ナミビア)や9秒95を持つマイケル・マーシュ(アメリカ)など、トップ選手が並んでいた。

「ドイツの試合でことごとく負けていたエマニュエル・テュフォー(ガーナ)とは、今回は対等に戦えるかなと思っていた。マイケル・グリーン(ジャマイカ/10秒04)に勝てば決勝に行ける、とも考えていた」(朝原)