2019.07.24

バルセロナ五輪男子マラソン、「こけちゃいました」と壮絶な優勝争い

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by AFLO

 アクシデントはそれだけではなかった。8月9日の大会最終日に行なわれたレースは、最初の5kmが16分03秒の超スローペースで始まり、20㎞通過も1時間04分00秒で大集団になっていた。その中での22km過ぎの給水所。谷口は左足を上げようとした瞬間にカカトを踏まれ、さらに背中をポンと押された。シューズが脱げた、とわかった瞬間には前に体が飛んで転倒していた。

「一瞬、裸足で走ろうかとも考えた」という谷口は、石畳もある硬い路面のことを考えて引き返してシューズを履き、再び走り出した。「あの時に前を見たら20~30人いたので『こんな大集団なのか』と驚いたが、やめようという気持ちにはならなかった」と言う。

 20秒ほどのロスだったが、転倒したタイミングが悪かった。レースが動き始めた時だったのだ。

 その時森下は「23kmあたりで、ベッティオル(イタリア)が出た時はチャンスだと思った。追いかけるふりをして並ばずに、そのまま自分のペースで行く気でした。でも、ちょ
うどその頃に谷口さんがコケていたんですね」と谷口の状況を把握していなかった。

 25kmまでのペースは、その前の5kmより20秒上がる15分22秒。谷口はトップと7秒差の11位で25㎞を通過したが、その時の無理がたたって、その後は15分台後半までペースを落としてしまった。

 26kmを過ぎてから集団は一気に絞られ、金完基(韓国)を含めた3人の先頭争いになった。33km過ぎからは、15分20秒のペースを守った森下と黄永祚(韓国)の一騎打ちになった。

 黄は、この年の2月の別府大分毎日マラソンで2時間08分47秒の自己記録を出して2位になったほか、91年の九州一周駅伝にはアジア選抜の一員として出場し、2回走ってともに区間賞を獲得した選手だ。森下も「監督たちから、『力は同じくらいだ』と言われていたし、後半に粘ってくる自分と似たタイプだということはわかっていた」という。

 モンジュイックの丘を登り始めた時、森下は2人の優勝争いになったと確信し、最後までくらいついてトラック勝負に持ち込もう、と考えていた。1万mの持ちタイムは、1分以上森下が上回っていたからだ。