山の神・柏原竜二が語る引退の真相。「駅伝に逃げてはいけないと...」 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

 東洋大学時代に、箱根駅伝の5区で圧倒的な強さを見せ、"2代目・山の神"として大きな注目を集めた柏原。駅伝以外でも、2008年に出場した世界ジュニアの1万mで7位、2009年にはユニバーシアードの1万mで8位に入るなど、将来を嘱望されて2012年に富士通に入社した。

 だが、社会人1年目こそ5000mで13分46秒29の自己新を出したものの、1万mの28分20秒99、ハーフマラソンの1時間03分16秒という、大学時代に記録したベストタイムは更新できずに終わる。そこには、マラソンへのこだわりが影響していた。

「1年目は1万mも28分21秒58で走れたんですが、その時はすでにマラソン挑戦を意識していました。大学2年の時に出したベストタイムは、ユニバーシアード出場を確実に決めるために前半を14分06秒で入ったんですけど、富士通に入ってからは27分台を目標に13分50秒くらいで入るようにしていました。その結果、後半でガクっと落ちて記録が伸びなかったことは、自分のやり方が間違っていたと言わざるを得ません。ただ、1万mなどで記録を出すことに、あまりこだわってはいませんでした」

 マラソンを意識してレースに臨むようになってからも、柏原がフォームを変えることはなかった。大学時代も起伏のあるところで練習を積み、結果につなげてきた自負があったからだ。「山も平地でも走りの感覚は同じ。そこで走り方を変えていたら、トラックにもロードにもつながらなかった」という信念から、富士通に入ってからも「自分の動きをどうよくするか」を考えて練習に取り組んでいたという。

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