4×100m銀メダル。偉業の裏には積み上げてきた挑戦の歴史がある (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by JMPA

 だからこそ予選で出したアジア記録も"当然"だった。目標は記録ではなくメダルだったからだ。08年北京五輪で日本が銅メダルを獲る姿を見て感動した彼らにとっては、それはもう夢ではなく現実であり、自分たちも獲れる、獲らなくてはいけないものだと信じていた。

 そんな高い意識を持って臨んだ決勝でも、チームは攻めの姿勢を持ち続けた。これまで安定した成績を残してこられた最大の強みであるアンダーハンドパスを今年の冬から改良し、50~60cm離れた状態で受け渡しをして、利得距離を求めるスタイルに変更していた。予選ではバトンの受け渡しが少し詰まってタイムをロスしていたため、決勝では、バトンを受ける側の選手が走り出すポイントを7~13cm長くして、より加速した状態でのバトンパスを目指した。

 苅部部長が「全選手中でもトップクラスのスタートダッシュをしてくれるので、1走としては世界一じゃないかと思う」という山縣が、そのスタート能力を生かして他チームより先んじると、バトンを受けた飯塚も各国のエースに若干追い詰められながらも互角の走りをした。そして「飯塚さんは絶対に追いついてバトンを渡してくれると信じて、思い切り走り出した」という桐生は、外側のレーンを走る選手をふたりほど抜き去る走りをして、先頭の位置で最後のケンブリッジにバトンを渡した。

 憧れのボルトより先にバトンを受けたケンブリッジは、「ボルトにかわされるときに、バトンを当てて少しバランスを崩してしまったけど、正直今までで一番短く感じた100mでした。後半では離されてしまったけど、ゴールしてからは『やったー!』という感じで、今までで最高の瞬間でした。2位の確信はなかったけど、入ったかなという自信めいたものはありました」と振り返る。

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