「もう大失速しない」福士加代子をリオへ近づけた鬼のような練習 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 藤田孝夫●写真 photo by Fujita Takao

 こう話す永山監督は、距離にはこだわらず、1km3分20秒ペースで走る10km走を2本など、福士のスピードを生かす練習方法を選んだ。さらに、最後のトラック勝負で戦える力もつけようと練習を組んだという。1月に行なわれた徳之島合宿では、アップダウンに加えて、風も強いコースで、福士が「走れない」と弱音を吐いたこともあった。

「そう言い出すのは年に1度あるかないかだから、彼女も本当にきつかったのだと思います。でも13年の世界選手権で銅メダルを獲得したあと、ワコールの陸上部長と話した時に、自分から『次はもっといい色のメダルを取りたい。金メダルを狙います』と言っていたので。私も『大阪で勝てなければリオはない』と言っていたし、彼女自身も『大阪では2時間22分30秒を突破して優勝する』という気持ちを持っていたからこそ、耐えられたのだと思います」と振り返るように、大阪にかける思いは永山監督と福士ともに同じだった。

 それに加えて今回は、福士自身が「練習より食べることの方がきつかった」と言うほど、食事面にも気をつかった。今までで一番というくらい、マラソン練習をして臨んだ12年の大阪では、25km付近から大失速して2時間37分35秒という結果に終わった。そこから導き出した彼女の最大の課題は、スタミナ不足だった。

「08年の初マラソンの時は脳貧血で倒れて、2回目の12年の大阪はプレッシャーで最後の1週間、食事がうまく摂れなかったというのがあったので。12年のロンドン五輪のあとからついた管理栄養士の方が、今回は福士にマンツーマンでつきあってくれて食生活の改善をしてくれました」

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