【東京マラソンへの道】中島彩「42.195キロを走って見えた、私の役目」 (3ページ目)

  • 中島 彩●文 text & Nakajima Aya
  • 喜 安●撮影 photo by Kiyasu

予期せぬアクシデントもありましたが、4時間台で完走できました! 予期せぬアクシデントもありましたが、4時間台で完走できました! 【佃大橋→東京ビッグサイト(36キロ~42.195キロ)】全速力で「ありがとう」のゴール!

 そして、何とか脱水状態から復活した私は、32キロ地点の茅場町あたりから一気にギアチェンジ。1キロ8分台から5分30秒台に切り替えました。また、一番厳しい坂が待ち受けている佃大橋付近でも、熱い応援をいただきました。「重い足 気のせいだから、前を向け」「日曜日 明日は会社 でも走る」など、ユニークな俳句を書いたボードを掲げている人も……。

 そして海が見え始め、いよいよゴールの東京ビッグサイトへ。追い風が吹いていたので、海風が身体をゴールまで運んでくれました。最後は力いっぱい、足を前に前に出して……そしてゴール!

※最終記録:4時間45分47秒

 ゴールした瞬間、私は「あーーーっ!」と叫んでいました。思い返すと、あの声は「みんな、ありがとう! このレースが私のすべてだ!」という気持ちの表れだったように感じます。そしてゴールから数秒後、今度は4時間台でゴールできたことに安堵感を覚え、脱水症状から立ち直れたことに改めて感謝しました。あの脱水症状を乗り越えて、最後にダッシュできたのは、本当に奇跡でした。

  ☆ ☆ ☆

 振り返ってみると、初めての東京マラソンは、いろんな人の力や絆(きずな)に支えられました。42.195キロのコースの沿道は応援してくれる人々で溢れ、私も脱水症状で苦しくなったとき、心の中で応援してくれる被災地の仲間のことを思いました。「私のレースは、ひとりじゃない」。そう、自分のことを思ってくれている人のレースでもあるのです。

 そして、自分の走りや結果にドキドキ、ワクワクしてくれる人がいることは、本当に励みになると知りました。あのとき、4時間台の約束を思い出さなかったら……私は休憩して、そして棄権していたかもしれません。目標としていた『4時間30分』の記録は出せなかったけれど、それが今の実力。来年はさらに成長した記録を出したいと思います。

 東京マラソン2013――。走る人、ボランティアの人、応援する人……、みんなが東京マラソンを盛り上げ、そして支えていました。これを伝えていくことこそ、タレントであり、フリーアナウンサーであり、ランナーであるの私の役目かなと思っています。来年の東京マラソンでは、さらに元気と笑顔をみなさんにプレゼントできる走りをするべく、今日からまた走ります!

 LET’S RUN WITH ME!!

 今日まで練習の様子は、こちらをチェックしてください!→中島彩オフィシャルブログ「走ろう!彩と。」


【profile】
中島彩(なかじま・あや)
1987年8月1日生まれ、大阪府寝屋川市出身。慶應義塾大学法学部卒。元東海テレビ報道スポーツ局。現在はキャスト・プラス所属のフリーアナウンサー、タレント。身長158センチ。趣味はマラソンの他に、三国志研究、政治研究。


【東京マラソン特設サイト 試走ムービー公開中!】

●中島彩が42.195キロを走ってみた
(1)東京都庁→日比谷 (2)日比谷→銀座四丁目 (3)銀座四丁目→東京ビッグサイト

●クルマで42.195キロを走ってみた
(1)さくっと5分バージョン (2)じっくり10分バージョン

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