【やり投げ】村上幸史メダル獲得へ。「ディーン元気の台頭はすごくありがたい」 (2ページ目)

  • 折山淑美●文・取材 text by Oriyama Toshimi
  • 山本雷太●写真 photo by Yamamoto Raita

 そして北京五輪を終えたとき、心の中に残ったのは悔しさだった。

「競技に対する自分の気持ちが一変したのは、確かに北京五輪の後ですね。あの大会はひとつの集大成と考えていたので、そこで勝負したいという気持ちだった。で、結果的には予選落ちだったけど、僕の中ではただの予選落ちではなく、僅差。もう少しで決勝へいける所まできている、という結果だったんです。五輪が終わってすぐに思ったのは『次の五輪も勝負したいな』ということでした。それに加えて大学の恩師と高校の恩師も、『ロンドンも狙え!』と言ってくれたので......。そこから気持ちが一気に燃え上がりました」

 高校時代の恩師であり、現在も村上を指導する今治明徳高校の浜元一馬氏も、妻の弥里(みさと)さんも口を揃えて言うのは、村上はどんな時でもグチをこぼさないし、自分の気持ちを表に出さない性格ということだ。

 しかし北京の後だけは違った。弥里さんは笑いながら振り返る。

「あの時は珍しく悔しがっていましたね。予選も主人の組の時だけ雨が強くて、あとの組は止んできたから、『あの時雨がなかったら』とか、『あとちょっとだった。やっぱり決勝で投げたかった』などと言っていました」
 
 浜元氏も「北京のあと『先生。勝負できると思うんです』と言ってきたんです。それに息子の敬汰くんの影響も大きいんじゃないですか?『父ちゃんがこんなことをしていたとわかる年まで頑張りたい』と言っていましたから」と言う。

 弥里さんも「今、子どもは4歳だけど、北京を過ぎた頃から『エイッ!ってやるよ』と言って、やり投げの真似をするようになっていたんです。主人も敬汰といる時はいつも楽しそうだから、子どもに見せたいと言うのはあるでしょうね」と話す。

 このとき村上の目の前に初めて、世界の背中が見えてきた。

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