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【陸上・競歩】大利久美
単なる「青春の思い出作り」から手にした五輪切符 (3ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 しかしそれが、大利にとって転機になったのは間違いない。その『川崎ショック』を翌年に生かした。1月の日本選手権では4位に止まったものの、3月の能美大会で日本選手権3位の小西祥子に勝利し、渕瀬、川崎に次いで3人目の2009年世界選手権(ドイツ・ベルリン)代表切符を手にしたのだ。

 その世界選手権で「16位以内に入れればいいと思った」大利は12位。「渕瀬、川崎には及ばない」と言いつつも、世界が近づいている実感があった。自らの気持ちの中で、五輪出場、そして入賞というものが現実味を帯びてきた。

 それから、練習に対する姿勢が変わった。与えられたメニューに「プラスアルファーの練習もやらなければいけない」と思うようになった。同僚の川崎からも多くの刺激を与えられた。

「川崎さんとは、たまに晩酌をするときがあって、『世界に行くときにはこのくらいの意気込みを持たなくては勝負できない』というような話をしてくれます。それは、すごく勉強になります」

 そうは言っても、大利は川崎や渕瀬とはタイプが違う。それは、彼女自身がいちばん自覚している。
「川崎さんは、重要な練習では倒れ込んで、寝込んでしまうほど追い込める集中力があるんです。でも私は、そこまでやりたい気持ちがあっても、それができなくて......。次の練習もしっかりこなせるほうがいいかな、と思って抑えてしまうんです。レースで爆発するためには、倒れ込むくらいの練習が必要なのでしょうが......」

 そんな彼女に対して、周囲はいつも物足りなさを感じている。いろいろな関係者から、叱咤激励されることが頻繁にある。五輪代表が内定したあと、陸上部の福嶋正監督からも「おまえが五輪へ行くとは思わなかった。1~2年でやめると思っていた」と言われたらしい。さすがにそのときは、大利も「監督が私を(富士通に)取ったんですよ!」と頬を膨らませたというが、「地味に2番手、3番手をふわふわしてきたから、そう思われるのはわかります」と納得顔。強烈な反骨心とか、熱いアスリート魂といったものが、彼女から漂ってくることはない。

 それでも大利は、大きな故障もなく、昨年春から取り組んでいるウエイトトレーニングの効果も出てきて、着実に地力は強化されている。ピッチを上げなくても、ストライドを伸ばしてスピードを上げることもできるようになってきた。

「私は本当に地味で、ドラマチックなことは一切ありません。でも自信を持って言えるのは、10年以上やっていて、失格や途中棄権は一回もない安定感があることです。しかもどのレースでも、ある程度高い位置で入賞できていると思います。コツコツとやってきた地味な積み重ねがジワジワ小出しに出ている感じですけど、誠実に取り組んでいれば、いつかラッキーな事が起こるんじゃないかと思っていますから」

 昨年の世界選手権の反省もあって、ロンドン五輪の目標は口にしたくないというが、大輪の花を咲かせる可能性はゼロではない。その際、彼女はどんな花になるのだろうか。

「派手なバラなんかは似合わないから、ちょっと大きめのチューリップくらいでいいですよ。できれば、白味がかかったピンク色かな。今の私はその辺にポッポッと咲いているタンポポくらいですからね」

 両親も目立ちたがらないタイプで、その性格を受け継いだのだろうという大利は、そう言って軽やかに微笑んだ。

  大利久美(おおとし・くみ)
1985年7月29日生まれ。埼玉県出身。競歩を始めてからは「停滞したことがなく、順調に毎年成長してきた」と本人が語るとおり、一歩一歩、着実に力をつけてきた。2007年ユニバーシアード20㎞競歩で4位。初出場の2009年世界選手権は12位と健闘した。2010年アジア大会は出場できなかったものの、国内レースは2010年9月の国体から2012年2月の日本選手権まで連勝中。20㎞競歩の自己記録は1時間29分11秒。身長160cm。血液型B。

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