【陸上】名古屋から始まる野口みずきの挑戦。「ボロボロになるまで走りたい」

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • 岸本勉●写真 photo by Kishimoto Tsutomu

2月、藤田ランニングアカデミーに参加し、明るい表情を見せた野口みずき2月、藤田ランニングアカデミーに参加し、明るい表情を見せた野口みずき「昨年10月の実業団対抗駅伝西日本大会では、5㎞通過で15分24秒の自己ベスト(5000mの自己記録は15分30秒04)を出せるまで戻ってきてたけど、その後でまた脚を痛めてしまって大阪は欠場することになりました。でも幸いにもマラソンの神様が微笑んでくれたのか、故障は軽くて済んだので3月の名古屋にスライドすることができました。モチベーションを維持できるかというのもあるけど、その分また努力できるということなので頑張りたい」

 大会直前に欠場を発表した大阪国際女子マラソンから1週間後、埼玉県飯能市で開かれた、シスメックス・元監督の藤田信之氏が主宰する藤田ランニングアカデミーに参加した野口みずきは、落ち着いた表情でこう語った。

欠場決断後にウォーキングのみの練習だったのは2~3日だけで、その後はトレーニングに入れるくらいのペースでジョギングも出来ていると微笑んだ。故障が続いた08年北京五輪以降の苦しい戦いに比べれば、今の方が遥かに明るい希望が見えているという思いもあるのだろう。

 北京五輪が開幕して5日目の08年8月12日。5日後に控えたレースで五輪連覇を狙う予定だった野口の五輪欠場発表は衝撃的なニュースだった。大会へ向けて合宿をしていたスイス・サンモリッツで、左脚座骨付着部を肉離れしたのが原因だった。

 年が明けてからは練習内容を軽くして走り始めてみたが、すぐにどこかが痛くなった。リハビリをやってみても効果は上がらず、やることなすこと失敗。さすがに野口も心が折れそうになり、指導する広瀬永和監督に「もう辞めます!」と言い出したこともあった。

 しかし、11月になってアスリートの治療で実績のある社会保険京都病院で診断してもらうと、完治は無理だが周りの筋肉を鍛えることで復帰の可能性はあると診断された。

 それからは本格的なリハビリが始まった。右に比べ、半分まで落ちてしまった左脚の筋力を取り戻すために、地道なトレーニングが続いた。そしてその成果は徐々に現れ、10年の8月からは本格的に走れるようになった。10月には実業団対抗駅伝西日本大会で3区(10・5㎞)を走り、2年5ヶ月ぶりの復帰を果たした。

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